こんにちは。あっという間に今年のカレンダーも残り1枚となりました。

急に襲ってきた寒さに思わず、ヒートテックとコートの最強防寒を召喚してしまい、冬を越せるか心配になってきた五十嵐です。

年末‥となるとM-1の季節です。部員日誌を見返すと毎年この話をしている気がします。でも、今回はその話はしません。(残念‥‥)

なんて言ったって、”最後”の部員日誌なのですから。

訳もわからず書き始めた自己紹介から始まり、通学中の満員電車の中で押し潰されながら書いていたのも、題名の四字熟語を毎回Google検索で探しまくっていたのも、締め切りを過ぎたことをバレないようにしていたのも、いい思い出です。

書きたいことは山ほど、いや、星クズの数ほどありますが、せっかく最後の部員日誌なので、私と”そいつ”との思い出でも語ろうかと思います。

 

遡ること17年前。

そいつと私との出会い、それは私が5歳の時だった。

あまり記憶は無いが、ふと気がつくと、すぐ隣にいた。やってみろよと言わんばかりの得意げな顔でこちらを見ていたのだけは、微かに覚えている。

なんだかその表情に魅了されると同時に、絶対に負けるものかと私の中の負けず嫌いが目を覚ました。それからは、気がつくと、毎日毎日一緒にいた。

ありすぎる思い出を振り返ろうと記憶を巡らすと、どうやら私は、そいつに、17年もの年月をかけてたくさんのものをもらっていたことに気がついた。

 

例えば、そいつは私にたくさんの<仲間>をくれた。

転校の多い小学生時代、本が友達だった中高生時代、そして大学生時代。人と真正面から関わることが得意ではない私に、そいつはいつだって愉快で素敵な仲間達と引き合わせてくれた。そいつのお陰で本来出会わないであろうはずの人だったり、気が合わなそうな人と気がついたら仲間になっていた。今思えばこれって、ちょっとした奇跡だと思う。とても気の利くやつだった。

でも、時々仲間と試合で戦わせるなんていうナンセンスなサプライズもかましてきたりしたけど。

 

例えば、そいつは私にたくさんの<チャンス>をくれた。

私はそれをものにできたり、できなかったりした。思えば、そのチャンスを生かせなかった時の方が圧倒的に多かった。そんな時は最高の屈辱とやるせなさと次へのエネルギーをそっとくれた。反対に、そのチャンスを確実に生かすことができたその暁には、名誉と達成感と私一人ではありあまるくらいの喜びをくれた。気前がいい時には海外行きのチケットや賞金だってくれた。なんとも飴と鞭の使い方がうまいやつだった。

まぁ、鞭の方が圧倒的に多かった気がするけどそれは黙っておく。

 

例えば、そいつは私にたくさんの<景色>を見せてくれた。

自分一人じゃ到底見れなかった、沢山の景色を見せに連れて行ってくれた。比較的インドア派である私を、日本全国、時には世界にだって連れ出してくれた。そいつと見る景色は、世界で二番目に高いところから見下ろす絶景もあれば、灰色でモヤがかかった永遠に下に続いていくような、まるで気絶した時に見る悪夢みたいな景色もあった。

けど、今となればどの景色も同じ色に見えて、良くも悪くも過去に見た景色の一部でしかなくなった。

 

例えば、そいつは私にたくさんの<居場所>をくれた。

そいつが用意してくれる居場所はどこだって、理由もなく居れる心地よい場所ばかりだった。きっとそこには自分は必要とされていて、自分も必要としていた場所だった。

そして、過去の居場所は帰るべき故郷として形を変えて、今もそこで私の帰りを待ってくれている。

 

例えば、そいつは私にたくさんの<私>をくれた。

暗い自分。明るい自分。マイナスな自分。心配性な自分。強気な自分。おしゃべりな自分。ビビりな自分。恥ずかしがり屋な自分。性格の悪い自分。自意識過剰な自分。最高な自分。そいつはいろんな私を私の中から呼び起こした。

普段の自分は嫌いだけど、ただそいつといるときの自分は夢中で、前向きで、そして本気だった。

 

そいつといると疲れるし、辛いし、苦しいし、時には怪我もしたりした。けど、逆に少し離れると、なんだか寂しくて物足りない気分になる。なんともわがままで手のかかるやつだった。

そいつとの別れが来ることはだいぶ前には知っていたけど、まだ実感が湧かない。小中高と節目節目で別れの予感はあったもの、なんだかんだここまでやってきた。

でも、もう次はないらしい。

 

こんなにたくさんのものをもらったから、私はそのお礼になんとか”結果”という形でお返しをしてあげようと頑張った。時には良い結果をあげることができた時もあったけど、でも、やっぱりそれはそう長くも続かなかった。

「勝ち続けること」はシンプルが故に、簡単ではなくて、自分の「普通さ」を嫌というほど痛感させられた。

私達が住んでいた世界は誤魔化しの利かない正直な場所で、”その時”が過ぎてしまえば、死んだ者には誰一人目も耳も傾けない、どんな言い訳をしても、審判の手が上がった方が正しかった。

 

結果だけを見たら決して満々足いくものではなかった。正直、この悔しさとか後悔は、特段後味も消化も悪くて、数年間は胃もたれが治らないと思う。

今までそいつと過ごした時間は、結果だけで見ると意味の無い時間だったのかとも思う時もある。けど、決してそれだけではないはずだと、根拠はないけど、確信できた最後4年間だった気がする。

というか、今後の人生を費やして、そうではないということを無理矢理にでも証明していかなければならない。

無意味とラベリングされた、過ぎ去ったその時間に、納得できる意味付けをすることができた時こそ、私の胃もたれが治る時だ。

 

もうすぐ、そいつとの別れが来る、つまりは私の物語第一章が幕を閉じようとしている。

そして、間髪入れず私の第二章が幕を開ける。

それはそれは、わくわくに満ち溢れてて、でもたくさんの敵や落とし穴が影を潜めていることは容易に想像できて、今からでも少しビビってる。未知すぎる世界に、なんの武器も持たず、丸腰で挑む恐怖は思っている以上に大きい。

 

でも、私には少し離れた場所で見守ってくれている心強いあいつがいる。きっと、ピンチの時にはきっとそっと助けてくれるはずである。あいつがくれた、たくさんのものを使いこなせれば、きっとなんとかやっていけると確信している。

 

ということで‥‥

私とあいつとの最高の別れをするためにも、今まで支えてくださった皆様への感謝の意を示すためにも、今週末の戦いは絶対に”やり切らねば”なりません。

心強い素敵な仲間達と戦えることを笑顔で楽しみながら、勝利に向け、意地でも動き続けようと思います。

 

最後に

この4年間、家族、先生方、OBOGの皆様、同期、先輩、後輩、塾高生、他にも沢山の方に支えられて、この慶應義塾大学という素晴らしい環境で柔道に取り組めたこと感謝しています。

そして、この部員日誌を読んでくださっている画面の向こうの皆様、私の拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

下手なりに毎回部員日誌を書くことを楽しみにしていた私にとって、ここは自分の思いの丈を描き綴ることができる自由な場所でした。ここを通じて人に物を伝えることの難しさや、思考を表現することの楽しさ、そして相手に届いた時の嬉しさと達成感を学びました。この経験を忘れずに生かしていきたいと思います。

ありきたりな言葉にはなりますが、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

 

p.s.

題名は、最後にして最高の裏切りをしてみました。特段意味はありませんが、決してふざけてはいません。

全体的になんかめっちゃカッコつけてるぽい文章になってるけど、ラスト早慶戦、チーム中内・山室頑張るぞー!!!

応援よろしくお願いいたします!!!!