総合政策学部

受験方式

合格体験記

総合政策学部AO入試

総合政策学部2年 鎌田 一輝 (相洋高校出身)

昨年5月、私に高校柔道からの引退が迫っていました。そんな中、進学に向けて勉強を始めていた私に思わぬ話が飛び込んできました。「慶応義塾大学を受験してみないか。」両親が経営する旅館に訪れていたお客様からの言葉でした。最初は何が何だか分かりませんでしたが、このお客様は慶応柔道部OBの親友の方でした。その後、OBの紹介で練習に参加させてもいました。練習の雰囲気がよく、先輩方がとても親切にしてくれたのを覚えています。そして、私は慶應柔道部に入りたいと思い、慶應義塾大学を受験することを決意しました。

しかし、受験するとは言ったものの相手は名門慶應大学。柔道漬けの日々を送っていた私の学力ではとても歯が立たちません。そこで、慶應柔道部の先輩に勧められたのがSFCへのAO入試でした。AO入試とは、自己推薦型の入試で、一次試験では学力審査の代わりに書類審査(小論文と自由記述スペース等)が、二次試験では面接が行われ、合否が決められるという試験です。将来何になりたいか、そのためにSFCで何を学びたいか、しっかりとしたプランがある人が受験する入試制度です。私は実家が旅館を経営しているということもあり、小論文のテーマを「観光政策」にしました。実家が旅館というだけで観光についての知識が無かった私はパソコンの前に座っても全く手が動きませんでした。そこで、石本前監督と小倉先輩にアドバイスして頂き、観光についての本を読んだり、毎朝新聞を読んだり、資料を調べたりと知識を詰め込むことから始めました。足りない頭に知識を詰め込んだ結果、何とか小論文を書き上げることができました。それから、柔道部の先輩に紹介してもらった新宿にある代ゼミに通いました。代ゼミでは平井先生に担当してもらいました。平井先生は慶應AO入試を得意とする先生で、私の書いた小論文を劇的にビフォーアフターしてくれました。また、自由記述スペースは私の得意技について書きました。AO入試を受ける際は平井先生に見てもらうことをお勧めします。1次試験の書類が出来上がると、清書する作業が待っていました。地味な作業をだらだらとこなし、小論文に「…慶応義塾大学を忘望します。」と最後の力を振り絞り書き終えました。しかし、見直しをしていたら、志望の「志」が「忘」になっていたのに気づきました。私は急遽SFCで受験要綱を買い直し、小論文を書き直しました。結局、8月18日の出願期間ぎりぎりにだしました。受験するみなさんは私と同じミスをしないよう気を付けてください。

そして9月21日、1次試験の合格発表日、「受かっているよ」と小倉先輩に電話で伝えられて大喜びしました。しかし、喜びもつかの間、合格発表から2次試験まで2週間弱しかないため、私はすぐに準備に取り掛かりました。2次試験は3人の面接官と20分~25分面接を行います。また、任意で7分間のプレゼンが行えます。私はプレゼンを行わず面接だけの方式にしました。対策としては、まず、親愛なる代ゼミの平井先生のもとに通い、面接対策シートを5時間かけ作り上げました。そして、それをもとに学校で毎日のように面接の練習をしました。10月2日、いよいよ2次試験です。まず、60文字の小論文を書きました。タイトルは「雷親父は必要か?」というものでした。私は高校時代、鬼のように怖かった柔道部の顧問を例にあげ、必要と書きました。実際、この小論文は合否に関係ないらしいです。そして、2時間ほど待ってようやく私の面接の順番が回ってきました。練習の成果か、私は緊張せずに面接に臨めました。面接は長めで30分間、最初に小論文についての質問でした。難しい質問で心が折れかけました。それが終わると柔道について、実家の旅館について和気藹々と話し終わってしまいました。小論文についての質問で散々いじめられたので正直落ちると思いました。しかし、2次試験から2日後の10月4日、小倉先輩から「合格おめでとう」という言葉を聞いた時は、本当に嬉しかったです。

これから、私はSFCで観光政策について学び、研究していきたいと考えます。そして、近い将来、私が構築した観光政策で実家がある町の活性化に貢献したい。

総合政策学部AO入試

総合政策学部2年 富岡 愛実 (国学院栃木高校)

締め切りまで1か月。関東大会の日、怪我をした為に高3の全ての試合に出場できなかった私は、観客席で出場選手の応援をしていた。そんな時、監督に呼ばれて行ってみると2人の大学生がいた。そのうちの1人は高校の先輩であり、慶應大学に進学した小倉先輩だった。これが私と慶應義塾大学体育会柔道部との出会いである。

慶應を受験してみないかと誘われ、AO入試という受験を進めて頂いた時に私は大変興味を持った。AO入試は、自己推薦型の入試で書類審査と面接を行う形式であり、自分の将来を見据え、計画をしっかり立てられた者が受験する入試制度である。しかし私は将来の具体的なプランなどなく、明確な夢や目標もなかった。受験するか少しの間迷っていたが、名門慶應大学に入れたらいいな、くらいの気持ちで受験をすることに決めた。7月17日のことである。書類の締め切りが8月17日、本当に時間がなく、思った以上に厳しいものだった。

そんな中、私は将来何がやりたいのか、そのために大学で何を学ぶ必要があるのか考えることから始めた。今までにないほど将来に真剣に向き合い、2週間ほど悩み考え抜いた末「環境問題」をテーマに書くことにした。テーマを設定してからは、問題は何か、それを解決するためにはどうしたらよいのかを調べ、考えたことをノートに書き留めていった。平日は家で本を何冊も読んだりインターネットで検索したり、何度も文章を書き直し、毎週土日に栃木から東京に出てきて柔道部の先輩方や石本監督に文章の添削をして頂いた。テーマに関わる仕事をしている方と直接会って話しに行ったりもした。期限の日が迫ってくると、気持ちの余裕がなくなり毎日泣きながら論文を進めていった。

期限の1週間前、沖縄でインターハイが開催された。団体初出場であったため、チームの一員として応援だけでも行きたいという気持ちがあり、1週間という予定のところ私だけ2日間にしてもらって沖縄に出発。1人で飛行機に乗り、応援して、1人で帰る。かなりハードだったが、個人戦で仲間が日本一になった瞬間を見ることができたので無理をしてでも沖縄に行くことができて本当に良かったと思っている。もちろん沖縄でも高校の監督に助言を頂きながら、白紙欄を進めた。

帰ってきて、次の日から代ゼミ。5日間連続で最後の詰めを平井先生にして頂いた。ギリギリだというのにまだしっかりとした文章になっていなかった論文を整え、少ない時間の中で多くの知識を詰めて頂いた。期限の前日に最後の代ゼミが終了。論文も白紙欄もその夜に清書を始め、間違えのないように1文字ずつ丁寧に仕上げた時には朝が来ていた。人生初の徹夜。痛いと思った指先からは、血が出ていた。

苦労して書き上げたかいもあり、AOそしてほぼ同じ書類を出したFIT入試の1次審査は通過した。先に法学部の2次試験があった。FITの2次審査は、論述試験、グループディスカッション、プレゼンテーション、質疑応答。FITはまさか2次試験までいくとは思わず、ほとんど対策をしてこなかった私はボロボロで、結果もやはり不合格。対策をしてこなかったとはいえ、その不合格という結果にかなり打ちのめされた。

しかし、すぐに切り替え、その失敗を踏まえて、AOに備えて、プレゼンや面接の練習を何度も繰り返した。プレゼンはスケッチブックを使い、論文に書いた問題意識、問題に対する改善策、それを踏まえた大学での学習計画を7分間で面接官に伝わるように簡潔にまとめる。スケッチブックの挿し絵は私の絵の下手さを見かねて、クラスの友人が手伝ってくれた。プレゼンの練習にも付き合って、アドバイスをしてくれた。皆受験勉強で忙しい時期だったのに、私のために時間を割いて協力してくれたことに本当に感謝している。このような助けもあって、2次審査。やってきたことを全部出すことだけに集中した。

結果発表の日。帰りのホームルームの前。着信が入っていたのでトイレに駆け込み、電話をとると「合格おめでとう」。小倉先輩の言葉が信じられなかった。担任に報告すると、クラスの皆が拍手しておめでとうと言ってくれ、本当に嬉しかった。

AO入試を通して、問題を発見し改善策を考えていく力、目標を明確にして具体的な計画を立てる力など受験勉強では得ることのできないものを学ぶことができたと思う。そして、私の周りの多くの人に支えられていることを実感した。そのおかげで私は今、慶應義塾大学に入学し、自分の目標に全力で向かっていける環境をつかんだ。

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