あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。2年の入道隼人です。

お正月は実家や祖父母の家で久しぶりにゆっくり過ごしていました。ふと20年間どんな人生を送ってきただろうと考えた時に色んな先生から頂いた言葉を思い出しました。そこで、今回の日誌では、『信念の力』について書いていこうと思います。『信念の力』は『思考は現実化する』の著者であるナポレオン・ヒル氏の詩で、私が中学受験をした時に通っていた塾の先生から頂いた言葉です。ざっくりと一言にまとめると「できると思えばできる」という内容になっています。(詩は最後に載せておきます。)

小学6年生の頃の私はこの詩を「勝てると思えば勝てるのかぁ」と半ばスピリチュアルな感覚で、非現実的なものとして受け止めていました。しかし実際はそうではなく、もっと現実に即した内容だったのです。

私たちは勝負に勝つ時、勝つ準備を事前にしています。どうすれば徹底的に相手を抑え込めるかを考え、どうすれば完膚なきまで叩きのめすことができるかを考えます。そのときに「万が一苦戦してしまったら」と考えることがあっても、必ず自分たちはその局面を乗り越えられると疑いません。そういうときの練習は素晴らしい雰囲気で行われ、勝利をより決定的なものにしていきます。

逆に負ける時、負ける準備をしています。どれだけ策を考えていても、心のどこかでその策が効果を発揮しないことを予感し、試合の日が訪れることを恐怖しています。練習をしても意味がないのではないかと頭の片隅で考えてしまい、良い練習が行われているように見えても、内容は空っぽになってしまっています。勝つときは勝つべくして勝利を掴み、負けるときは負けるべくして敗北を喫するのです。おそらくですが、これを読んでいる皆様も当てはまる経験があるのではないでしょうか。

さて、つらつらと長く書いてしまいましたが、この詩から私は二つのことを学びました。一つ目は「予感が決定的になる頃には結果は覆せない」ということです。僕が今からプロ野球選手を目指しても絶対に無理でしょう。それは予感が決定的になっているからです。一方で、ベビーカーに乗っている赤ちゃんがプロ野球選手になれるかどうかはまだわかりません。予感が決定的になる前だからです。ですから、何か絶対に負けられない勝負に挑む予定があるのなら、勝敗の予感が決定的になる前に動かなければなりません。負ける予感がする頃には、もう手遅れです。

二つ目は「根拠のない予感は駄目」ということです。「勝てると思えば勝てる」というのは、目標を正しく認識し、勝つ準備をしている人限定の話であって、目標を見誤っている人や慢心している人は含みません。100メートル先にあるのに、50メートル先にあるのだと勘違いして準備している人は勝てません。正しく目標を認識した上で「できる」「勝てる」と思えるかどうか。それが重要なのです。

勝負の世界に絶対はありません。しかし、偶然で負ける事があっても偶然で勝てる事は無いと思ってます。

さてここまで長くなってしまいましたが、ここからは私の柔道の話をさせていただきます。次の全国大会等に繋がる試合は春の東京都学生です。試合まではまだ半年弱あるものの、先程書いたように「予感が決定的になってからでは遅い」のです。「勝利の予感」を確かなものにするために、今から勝つための稽古を積んで行きます。もし勝つための準備を試合当日まで徹底することができれば、試合が目前に迫ったときに「勝てると思える」の状態になってあるはずです。頑張っていきます。

それでは最後に、原文とは少し異なるかもしれませんが、先生からいただいた言葉をそのまま書かせていただきます。

 

 

もし、あなたが負けると「考えたなら」あなたは負ける

もし、あなたがダメと「考えたなら」あなたはダメになる

もし、あなたが勝ちたい思う心の 片隅でムリだと「考えたなら」
あなたは絶対に勝てない
もし、あなたが失敗すると「考えたなら」あなたは失敗する
世の中を見てみろ、
最後まで成功を願いつづけた人だけが成功しているではないか
すべては「人の心」が決めるのだ もし、あなたが勝てると「考えたなら」あなたは勝つ 「向上したい」「自信を持ちたい」ともしあなたが願うなら、
あなたはその通りの人になる
さあ、出発だ。
強い人が勝つとは限らない。
すばしこい人が勝つとは限らない
「私はできる」そう考えた人が結局は勝つのだ!