ご無沙汰しております。慶應義塾體育會柔道部主将の都倉です。これまで4年間書き続けた部員日誌もこれで最後となります。渾身の部員日誌を尾崎先輩に褒めていただけてめちゃくちゃ喜んだり、他の部員の意外な一面が知れて嬉しかったり、依田先輩の「好きな日誌ランキング」に自分の名前が載っていなくて悔しかったり、辛い時には皇貴先輩の最後の日誌を読み返して自分を奮い立たせたり、この部員日誌一つとっても色々な思い出があります。
また読む側に戻る時がきたと思うと非常に感慨深いです。

さて、明日の早慶戦を以て我々四年生は引退し、チーム都倉は解散となります。
この4年間、本当に色々なことがありました。大きな期待と不安を胸に抱えながら、坊主頭のまま上京してきた日が昨日のことのように思い出されます。
組織愛を学んだ一年生、自分の弱さを痛感した二年生、少しずつ勝てるようになった三年生、とにかく苦しくも組織人として大きく成長できた四年生。
このように私の学生生活は常に塾柔道部とともにありました。いい機会なので少し振り返ってみたいと思います。

1年生
やっと憧れの塾柔道部に入部できると嬉々として入寮した矢先にコロナによる緊急事態宣言が発令されてしまいました。入寮して10日で帰省するという最速記録を叩き出し、両親もびっくりしていました。

折角のキャンパスライフが奪われてしまい、実家で黙々と課題をこなす日々には本当にうんざりでした。私は人見知りなのでオンラインミーティング等ではなかなか同期や先輩方との距離感を掴むことができず、ずっと猫を被っていました。結局、練習再開の見通しが立ったのは7月の終わりでした。夏休みのスタートと同時に再度六徳舎の門を叩きました。初めての集団生活にビビっていたのも束の間、優しい先輩方のお陰ですぐに寮に馴染むことができました。(蓜島先輩だけは引退するまでずっと怖かったです。笑)

特に篠原先輩には大変お世話になりました。何かと気にかけていただき、六徳舎そして塾柔道部のいろはを教えていただきました。夏休みはほぼ毎日午前に練習をして、同期全員でランチをして、午後は道場で駄弁りながらトレーニングをする日々でした。
今考えるととてもストイックな一年生たちだったなと思います。同期たちは塾高卒が大半を占めていましたが、快く外部生を受け入れてくれたお陰ですぐに仲良くなったのを覚えています。みんなありがとう。


最初の一年間はコロナで主要大会が軒並み中止。早慶戦だけが唯一の試合でした。長いブランクに苦しみながらも、今では考えられないほど過酷な部内戦を勝ち上がり、なんとか早慶戦に出場しました。私は引き分けることしかできませんでしたが、強い先輩方のお陰で優勝を飾りました。夢にまで見た大舞台で慶應の一員として勝利を飾ることができたのはこの上ない喜びでした。先輩方がなぜここまで早慶戦にこだわるのか、その理由がわかりました。来年も勝ちたい。強い慶應であり続けたいと強く思いました。
自粛期間は長かったですが、なかなか上出来な1年目だったと思っています。

1年目の学び:組織愛
先輩方は大阪から上京してきたシャイボーイの私を大変可愛がってくれました。
ご飯に誘ってくれたり、トレーニングを教えてくれたり、うまくいかないときは話を聞いてくれたり、本当に温かい先輩方や同期に囲まれていました。どの先輩方も、なぜこんなにも他人のことを気にかけてくれるのか不思議なくらい面倒見が良くて、塾柔道部って素敵だなと常々思っていました。どの先輩も「自分もやってもらってきたから、後輩には還元しないとさ」とさらっと言えてしまう。本当にかっこいいと思いました。こんなにも素敵な恩返しの文化が根付いていて、沢山の愛を与えてくれる柔道部が私は大好きになりました。自分も後輩ができたら還元するぞ!と息巻いていたのを覚えています。

2年生
挫折の連続でした。主要大会が軒並み開催されるようになり、周囲との圧倒的な差を痛感させられることが増えました。
初めての個人戦だった東京都ジュニアでは勝てると思っていた相手に何もできず負け、選んでいただいていた団体戦でもチームのお荷物状態。試合に出るのが怖いとすら思う時期もありました。1番悔しかったのは尼崎の初戦、近畿大学戦でボコボコにされて負けてしまい、チームを危機に陥れたうえに交代させられた時です。先鋒の中内先輩が貫禄の一本勝ちで勢いをつけてくれたのに、次鋒の僕が速攻で負けてしまい、代表戦までもつれる始末でした。監督が抽選で81kg級を引いてくださり、(神引き)杉村先輩が危なげなく勝ってくださったお陰でなんとか事なきを得ましたが、本当に情けなさと申し訳なさで一杯でした。その後は私が抜けたために、古澤先輩、織茂先輩、藤井先輩が1階級繰り上げで出場することになり、大きな負担を掛けてしまいました。しかし、御三方ともさすがは四年生という気迫のこもった戦いぶりで階級差を一度も感じることはなかったです。先輩方に助けられすぎた大会でした。僕もこんな強くて頼れる先輩になりたいと思いました。

ちなみにその年の早慶戦では、早慶戦史上でも5本の指に入ると思われる美しい内股透かしで一本負けを喫しました。チームは勝ったから良かったものの、みんなの励ましが逆に辛かったです。普段は情けない負け方をすると茶化してくる兄ですら、「この負けには意味があるはずや。ターニングポイントにせなあかんぞ。」と励ましてくれるほどの負け方でした。今までの努力が間違っていたことを突きつけられ、冬オフ中もずっと柔道のことを考えざるを得ない状況でした。思い返せば、本当にこの負けがターニングポイントだったと思います。帰省中でもほぼ毎日道着に袖を通し、練習する日々。どれだけ練習をしても内股すかしで宙を舞っている感覚がフラッシュバックして頭から離れませんでした。折角の成人式すら一次会で帰宅して翌早朝に東京に戻り、新成人の特権である成人式オフを放棄してまで練習しました。この負けは学業にも影響しました。一年生の頃から強く興味があったマーケティングのエグゼミは諦めて、一番柔道部の活動に影響が出ないであろう経営学のゼミを選びました。誰に言われたわけではないですが、チームを背負うレギュラーである自分が、ゼミで練習に出ないということは許されないと思いました。もしもゼミで柔道が少しでも疎かになることがあれば、負けた時に言い訳ができないとも思いました。両立を放棄しているだけと言われればそれまでですが、そこには確かな覚悟がありました。

2年目の学び:献身

気にかけてくれて、期待してくれて、本気で応援してくれる人々がいる組織にはなんとしても貢献しなければならないと強く感じるようになりました。滅私奉公というと語弊があるかもしれませんが、私生活を犠牲にしてでも私を認め、受け入れてくださっている塾柔道部のために頑張るべきだと思いました。組織を愛する気持ちが大きな原動力となること、組織のために頑張ることを学びました。

3年生
3年生になる前の春休みは死ぬ気で練習しました。コロナで活動が中断されることもありましたが、渡邉勇人先生がコーチとして指導を開始してくださったり、杉村先輩による組手の講習が始まったりと常に新しい視点を持ちながら柔道・トレーニングに取り組むことができていました。他にも、コリーと柔術の稽古に参加したり、廉也さんを誘って某金メダリストのセミナーに参加したりと、悪あがきをしていました。ですが、試合がなかったので成長を実感することができず、相変わらず頭の片隅にはまた負けるかもしれないという不安がありました。

春休みが明けると、部内戦・GWの練習試合・優勝大会と試合が続きました。ここで大学初のブレイクスルーを経験しました。今まで勝てなかった練習試合でも徐々に勝てるようになり、優勝大会でも得点してチームの勝利に貢献することができました。もちろんまだまだ課題はありましたが、不安に駆られて、色々なものを犠牲にして練習をした成果が出て嬉しかったのを覚えています。もちろん、うまくいくことばかりではなくて、東京ジュニアでは高校生に負けてしまい、これだけやっても個人戦ではまだ勝てないのかと絶望しました。夏休みに入り、人生で初めての戸狩合宿を経験しました。聞き及んでいたその過酷さと、例年の2倍ほどの長い日程にビビり散らかしていましたが、いざ参加してみれば最高の合宿でした。山奥で柔道だけに没頭できる一週間はこれ以上ないほど贅沢でした。毎日、日体生と競りながら、自分自身と戦いながら、成長を実感することができました。序盤はボコボコにされていた相手にも、最終日には競ることができていました。

大きな自信をつけて東京に帰り、臨んだ東京都学生ではベスト8で全日本学生出場を決めることができました。8懸けの試合に勝った時は涙が出るほど嬉しかったです。全日本学生出場ももちろん嬉しかったのですが、何よりも迷惑をかけ続けたチームに5ポイントを獲得することで恩返しをできたのが嬉しかったです。それからというもの、柔道が心の底から楽しかったです。団体戦では確実な1点を期待されるというプレッシャーはあれど、誰が相手でも、ある程度は対等に渡り合えるという自信がつき、自分を試したいという気持ちが大きくなっていました。その証拠に、自分が止めなければチームが終わるという凄まじいプレッシャーのなかで臨んだ早慶戦でさえ、尾崎先輩に撮っていただいた写真には、ニヤリと笑っている自分が写っていました。かなりキモいですが、めちゃくちゃ楽しかったのでしょう。

その後、なんとか出場できた尼崎でチームは惨敗しました。楽勝と踏んでいた相手に3-2で負け、正直にいうと悔しさではなく虚しさが残りました。試合後の集合で杉村先輩が見せた涙は今でも脳裏に焼きついています。

今思えば、これが初めて杉村先輩と同じ目線でチームを眺めることができた瞬間だったと思います。どれだけ自分が頑張ってもチームを勝たせることのできない悔しさ、周囲が変わらないことへの虚しさ、ぶつけようのない憤りを胸に抱えながら、それでも休むことなく進み続けるしかない苦しさをほんの少しだけですが、理解しました。

3年目の学び:責任感
上級生になって、自らの立居振る舞いが組織に大きな影響を与えうることを学びました。先輩方が繋いできてくださった素晴らしい組織を自分たちが台無しにしてはいけないという危機感を持ち、さらに組織のことを考えながら行動するようになりました。

4年生
早慶戦での悔しい負けを味わい、自分が主将として率いるチームがスタートしました。「奪還」をスローガンに定め、滑り出しは順調かのように見えました。しかし、うまくいかないことだらけでした。人数が大きく減り、弱体化しているという焦りからか、自分の柔道のことを考える余裕がなく、かといってチームもうまく回せているとはいえない状況が続きました。当然、全く思うような結果が出ず、自分たちのやっていることには意味があるのだろうかと何度も考えました。必要以上にプレッシャーを感じていたのかも知れません。今までほぼ怪我をしたことがなかったのに、怪我で思いっきり柔道ができない期間が続いたことも辛かったです。自分自身にも、同期にも、後輩にも何度も失望しました。圧倒的に辛い時の方が多くて、何度やめてしまいたいと思ったかわかりません。でも、なんとか続けてくることができました。それは苦楽を共にしてくれた同期や後輩、励ましてくれる先輩方がいたからです。本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました。

喜怒哀楽ではおさまらない様々な感情を経験した一年でしたが、引退を明日に控えた今、不思議なくらい清々しい気持ちです。このチームの全てをぶつけて勝ちたい、ただそれだけです。

4年目の学び:オーナーシップ

自らがこれからの塾柔道部をつくっていくという使命感をもって動き続けることの大変さと尊さを学びました。学年は関係ありません。オーナーシップを持って活動に取り組める部員は貴重ですし、塾柔道部にとってなくてはならない存在です。1人でも多くの部員がオーナーシップを持って、真摯に活動に取り組んでくれることを祈ります。


お世話になった方々へ

空先輩
僕が慶應を受験する決意を固めることができたのは空先輩のお陰です。あの時、熱心に慶應大学、そして塾柔道部について語ってくれたことには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。

篠原先輩
入寮当初から気にかけていただき、本当にありがとうございました。入寮したばかりで右も左もわからず、ビクビクしていた僕を風呂やご飯に誘ってくださり、お陰様で人見知りの僕でもなんとか寮に馴染むことができました。最初に塾柔道部の温かさを教えてくださったのは先輩だと思います。本当にありがとうございました。
先輩のような人格者には未だなれていませんが、なんとか少しでも追いつけるように精進いたします。今後とも宜しくお願いいたします。

大介先輩
在学中はストイックな怖い先輩だと思っていましたが、実際は想像以上に色々な意味で怖い先輩だということに最近気付きました。卒業してからも気にかけてくださり、弟のようにかわいがっていただいています。本当にありがとうございます。戸狩合宿翌日のオフの日に呼び出されて、投げられまくったことは忘れません。来年からは毎週金曜日のお昼にランチに連れて行ってください。飲むのは3ヶ月に一回くらいでよろしくお願いします。

杉村先輩
もし先輩がいなければ僕が塾柔道部に入部することはなかったと思います。関西から塾柔道部へと進学する道を示してくださったこと、感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。偉大な先輩の背中を追い続け、ついに在学中に追いつくことはできませんでしたが、これからも勝手に追っていこうと思います。今後ともよろしくお願いします。

佑眞先輩
4年間で間違いなく1番お世話になりました。六徳舎のお風呂や先輩のベッドで柔道部のことや将来について何時間も語り合ったこと、一緒にカオマンガイをつくったり、練習後に階段を走ったり、次の日に体調が悪くなるほどキツイ背中トレをしたことは一生の思い出です。僕が生意気を言って気分を害してしまうこともあったかと思いますが、いつも寛大な心で受け入れていただきありがとうございました。先輩の熱い想いをしっかり受け継げていたかは自信がないですが、塾柔道部とは何たるかを教えていただきました。僕が駄々を捏ねて半ば無理やり連れて行っていただいた龍苑の味、一生忘れません。これからも小野會副会長として頑張ります。よろしくお願いします。海外旅行も是非一緒に行きましょう。


絃希先輩
先輩とは2年生ごろから急激に仲良くしていただきました。いつも人たらしの先輩の巧みな話術と笑顔にやられて気付いたら話し込んでいました。
高一の時の天理の練習試合で僕が跳ね上げ内股で一本勝ちしたのが昨日のことのように思い出されます。ふざけているようで、芯があり、基本的に人遣いが荒いけど、たまに優しい先輩が大好きです。これからもよろしくお願いします。

純先輩
代は被っていないですが、いつも気にかけてくださり、本当にありがとうございました。外部生の僕が入学当時から早慶戦に対して並々ならぬ熱意を持っていたのは先輩の代の早慶戦をYouTube配信で見たからです。今でもあの興奮は忘れていません。実は入学前から密かに純先輩に憧れていました。仙人のような先輩とする乱取りはめちゃくちゃ楽しかったです。先輩に教えていただいた背負い投げをマスターすることはついに叶いませんでしたが、組手や稽古の際の考え方など本当に沢山のことを教えていただきました。沢山ご飯に連れて行っていただき、その度に色々な相談にも乗っていただき、本当にお世話になりました。是非大阪を案内させてください。一緒にタイにも行きタイです。よろしくお願いします。

笹野監督

4年間本当にお世話になりました。
なかなか結果が出せないときでもいつも温かく見守ってくださり、本当にありがとうございました。どんなときでもドンと構えてくださっている監督がいるからこそ、安心して柔道ができました。六徳舎のソファや練習からの帰り道に監督と色々なお話しをする時間が大好きでした。いつもは照れ臭くて言うことができないですが、主将をやってみて、改めて監督の偉大さがわかるようになりました。
監督ほど塾柔道部を愛し、塾柔道部のために動いてくださっている人はそういないと思います。本当にありがとうございます。ぼくも来年からは恩返しをできるよう頑張ります。お身体には気をつけて、いつまでもお元気でいてください。明日はよろしくお願いします。

両親へ
小学校一年生から何不自由なく、16年間全力で柔道に打ち込めたのは2人のお陰です。あれだけ嫌だった柔道も気付けばなくてはならないものになっていました。
勝って恩返しすることは滅多にできなかったけど、2人のおかげでかけがえのない出会いや経験を手に入れることができました。本当にありがとうございました。
東京旅行だとかいってイジっていましたが、試合があるたびに必ず応援に駆けつけてくれるのはとても嬉しかったです。もうこれで最後の試合になりますが、あしたも応援よろしくお願いします。2人の子どもに生まれて幸せです。これから恩返しをしていきます。元気で長生きしてください。

同期たち
真面目だけどその分ビビりで、ちょっと頼りないけど、とても優しい同期たちが大好きです。頑固で堅物な主将だったせいで沢山迷惑をかけたと思うけど、みんなのおかげで最後まで頑張れました。本当にありがとう。明日は集大成、覚悟を持って戦い抜こう。最後までよろしく。


後輩たちへ

この1年間、ついてきてくれてありがとう。歴代の主将に比べたら実績もなく、カリスマ性もなかったと思うけど、それでもついてきてくれて感謝しています。本当にありがとう。明日は思いっきり戦いましょう。みんなの後ろには四年生がついています。余計な心配はせず、全力を出すことに集中してください。

ついつい7500文字も書いてしまいました。

塾柔道部に入ることができて心の底から良かったと思います。塾柔道部を志し、塾柔道部に学生生活を捧げたことは人生で最良の決断の一つでした。
4年間私のクソ真面目な部員日誌にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。チーム都倉は明日で解散ですが、今後とも慶應義塾體育會柔道部をよろしくお願いいたします。

都倉吏輝