巷では慶應柔道部の文豪と呼ばれている4年依田絃希です。
大人気、大好評であった僕の部員日誌も本日で最後のようです。
1年の頃はめんどくさいと思っていた部員日誌も、学年を重ねる毎に少しクスッとしてもらいたいと頑張っていました。
今回はラスト部員日誌ということで、御涙頂戴超大作で締めくくりたいと思います。
といいつつ、何を書こうか迷っていたのですが、つらつらと4年間の思い出を語ります。
私が慶應義塾を目指したのは高校3年の夏、両親からの「慶應どうだ」という勧めでした。
その時に何も考えず、”やってみるかぁ”がなければ今はありませんでした。
AO受験というものを知り、道場に足を運び、監督と森下先輩とお話をし、あれやあれやと受験をしていました。
高校生の僕に監督は、岡山に行って話を聞いてこい!という無茶振りは一生忘れないと思います。
そして、2回の入試を経て私は晴れて、慶應義塾大学環境情報学部に合格できました。
こうして私は、憧れであった體育會柔道部に入部できました。
ここからの4年間は本当にあっという間でした。早慶戦を部員として携わらせていただいた事や、暑中稽古、寒稽古など體育會柔道部に入ったことで、数々の伝統に触れることができました。
寒稽古の時、一歩も動かずピーダーセンと世の中のことについて話した濃すぎる2時間弱は忘れません。
と、まぁこのままダラダラ書いてても面白くないで、この場を借りて感謝を述べさせていただきます。
まずは、先輩方
たくさんご飯に連れて行って頂き、ありがとうございました。
1年生の時、「慶應の学生は僕とはデキの違う人間」と思っていましたが、理想?通りの先輩もいれば、良い意味でこの人はやばい!と思う人もいました。先輩方の背中は大きくて頼もしかったです。今の僕は先輩方のように慣れているかわかりませんが、皆さんの良いところを少しずつ吸収したつもりです。
特に一つ上の先輩には大変お世話になりました。
3年間同部屋の谷口先輩。何かと付き纏った山室先輩。ツンデレ伊藤こうきさん。お友達みたいな先輩?荒木さん。
ここでは省略していますが、試合を始め本当に心強かったです。ありがとうございました。
次に同期
4年間ありがとう。
くっついては離れ、そしてまたくっつく。僕の人生の同期の中で一番変な仲間たちでした。
森井、ピーダーと”柔道大好き3人組”と呼ばれ、少し照れ臭い部分もありましたが、僕は誇らしかったです。
杉村がキャプテンになり色々考え、それを須永、飯田が支える。小野は柔道部を裏から回す。
衣笠はまぁ衣笠でした。。
みんな少しだけ尊敬できる一面があります。
最後の早慶戦笑って終わりましょう。
後輩
憧れの先輩像、圧倒的No. 1の依田先輩を目標に少しでも成長してください。
冗談です。
面と向かっていうのは少し照れくさいのですが、楽しかったです。ありがとう。少し子供な部分をみると懐かしいなと思っています。
澤田は何かと一緒にいます。寮、ゼミ、練習などなど、彼は僕の”大きな背中”に憧れついてきますが、たまーに感心することがあります。その調子で頑張れ。
そして都倉。でかい、強い、まじめです。就活のサポートありがとう。次の柔道部を引っ張り、エースとして頑張ってください。
省略してますが、みんな本当にありがとう。
最後に両親
中学から私立に通い、大学も最後まで通わせて頂きました。本当にありがとう。
中学、高校のしんどい時期を折れずに走り切れたのは、確実に両親のお陰だと思っています。
色々心配なこともあったと思いますが、特にしつこく言及せず、ドンと構えていてくれました。
父は口には出しませんが、僕以上に柔道へ秘めたる熱い思いを持ち、母は何も考えていないようで何も考えていない。でも、なぜか頼もしい。
照れ臭いですが憧れの姿です。
妹は、”愛”のある意地悪をしてストレス解消になってくれてました。
ありがとう。
と、この辺で名前の出てきた人達は、嬉しくてニヤニヤしているでしょう。わかってます。見えてます。
お礼は個別で構いません。
最後に
皆様あらためて本当にありがとうございました。来週の早慶戦は全員で戦い、有終の美を飾れるよう、あと一週間死に物狂いで頑張ります。応援よろしくお願いします。