こんにちは。成宮陸雄です。同期の小林の日誌にもあったように、9月21日に私も20歳になってしまいました。誕生日祝いに寮で先輩方にお酒をたくさん飲ませていただきましたが、まだまだ子供な私には、あれを美味しいと言いながら飲む人の気がしれません。いずれ私にもお酒を美味しいと感じる日が来るのでしょうか。当分は来ない気がします。

さて、私の大学生活も1年と半年が経過したわけですが、この期間は私が今まで生きてきた中で最も短く感じ、あっという間に過ぎていってしまいました。いつかの日誌で入道が書いていた、人生は体感では19歳の時点で半分は終わってしまっている、という話もあながち間違いではない気がします。正直、今までの大学生活を有意義に過ごせてきたと胸を張っていうことはできません。塾高時代は6時前に起床し朝練をして、眠い目を擦りながら板書を取りつつ授業を受け、放課後には動けなくなるまで稽古をして、家に帰り食事をし、倒れるように眠る、という生活をひたすらに繰り返していました。決して楽な生活ではありませんでしたが、今考えるとぼんやりとしているような無駄な時間が一切なく、充実した有意義な時間を過ごしていたと思いますし、心身ともに大きく成長することができた3年間だったと思います。それと比べると、大学生になってからは起床時刻は8時になり、朝練もなく、大教室で受けるような授業では教授の話を半ば聞き流しているような感じで、稽古やトレーニングの時間以外はどうにもぼんやりと過ごしてしまっています。

普通に生活していれば有り余るような時間を自分で有効活用し、有意義なものにすること。これは塾高時代にはなかった大学特有の厳しさであり、もしかすると柔道の練習以上に厳しく難しいことなのかもしれません。先日都倉先輩が私と小林を誕生日祝いで食事に連れていってくださった際に、小林が「計画的な人間になりたい」と言っていましたが、その言葉が私にも突き刺さりました。私は今まで何かしら目標を立ては、部員日誌で精進するだとか一生懸命頑張るだとかと何度か書いてきましたが、それらは未だ何1つ達成できていません。それもそのはず、今まで私はその目標達成のための計画などを具体的に考えたこともなく、ただ頑張ればなんとかなるだろうとしか考えていなかったのです。私に足りていなかったのは、具体的に「どのように頑張るのか考えること」だったのだということに、やっと気がつきました。

そういうわけで、私の20歳の、いや今後の人生の抱負は、『明確な目標をたて、目標達成のために何が必要かを徹底的に調査し計画をたて、それを実行すること』とします。がんばろう、謙太。

今回はこれにて失礼いたします。