こんにちは。一年の松永蓮太郎です。

10月も目前まで迫り秋の気配が近づいておりますが、昼間の日差しやセミの声が夏はまだ終わっていないことを証明しているように感じます。8月に帰省した際に知り合いから聞いた話なのですが、人生を80年とすると僕たちの親世代はすでに人生の残りの夏は半分を切っており人生の儚さを実感するのは夏の終わりらしいです。その考えを持った時に思い返して後悔しないような夏を過ごせたかと反省してみると今年の夏はなかなか有意義な夏であったと言えます。儚さを感じる歳まで自身で合格点を与えられ続ける夏を、季節を過ごしたいです。

さて、去年からコロナウイルスにより人々の自由が制限されておりますが、経済や自由の侵害といった目に見える、言語化が容易い問題だけでなく、さらに深刻な問題が世界を襲っているのではないかと感じた経験がありました。僕は寮から自転車で登校しているのですが、ある日自転車に大きな荷物を乗せた中年の女性が僕の目の前で激しく転倒しました。痛々しい転び方をしたのを見て咄嗟に、大丈夫ですかと駆け寄り荷物を拾い、自転車を起こしてあげたのですが僕の他に大勢いた人は動こうとしませんでした。なんて薄情な人なんだとまではいきませんが、視線に冷たさを感じました。恐らくコロナウイルスが心配だから他人の私物に触れることに躊躇いを覚えてしまったのではないでしょうか。もしかすると時世的に言えば僕のよかれと思ってとった行動は悪とさえ捉えられるかもしれません。といいますのも街を歩いていた時に、咳をしていた通行人が物を落とした時に、もしかするとコロナを持っており、うつされる可能性があるかもしれないとためらいを覚えたという先の体験談の傍観者側としての体験もしているからです。人の善意から出る行動は見返りを求めない清い精神に基づかれてするものだと思うのですが、同時にほんの少しですが面倒なステップを踏まなければいけません。ものを拾ってあげるという行為であればしゃがむなどです。ただでさえ人を助けるというのは面倒なステップを踏まなければいけず、さらに見返りを求めない奉仕の心を持って行うべき行動でありますがコロナウイルスはその善の精神を否定します。このご時世だからと面倒なステップを踏まなくてよい傍観者になるための理由をこじつけてくる精神すらも蝕む文字通りの病原体です。ですが我々柔道人はそのようであってはいけません。危険を犯せとまでは言いませんが少なからず人助けは当たり前に行う精神は持つべきだと考えます。そして精神面において社会の先導者となるべき人物です。感染者も減少傾向にある今、明るい社会を取り戻すのは我々であるべきではないでしょうか。思い上がりではなく決意です。柔道人だけでなくその他の人々も社会を守る一員に簡単になれるのです。社会を守る者、すなわちヒーローですね。これが一夏で得た僕のヒーロー、英雄論です。僕一人がヒーローである必要はありません。むしろ一丸となってヒーローであるべきなのです。ヒーローに溢れる社会を目指してまずは自身が人々の体も精神も蝕む病原体に屈せず人としてするべき行動を心がけたいと思います。

立ちあがろう!ヒーロー達!