こんにちは。

マネージャーの尹井園です。

今回が最後の部員日誌なんて信じられません。

 

私は高校を卒業してすぐ日本に来ました。日本語もあんまりしゃべれな買ったので最初はとても大変でした。私は、小学校の時全国レベルの私立小学校に通ってました。(当時はお金がありましたが、今は借金だらけです。笑)小学校の時から塾やピアノレッスン、チェロ、美術、碁、水泳など結構毎日大変な日々でした。当時は私以外にも皆そうやってるんだろうと思い、それが当然な事であると、だから頑張らないと行けないと思いました。中学校からは本格的に受験戦争に入り、毎日学校、塾を繰り返す日々です。(もちろんこの時期はそんなにきつくないので友達といっぱい遊びました。)高校に入学し、初日、朝6時登校で、夜23時まで義務的に学校でいないと行けなかったです。授業は18時に終わりますが、23時まで自習でした。そんな毎日だった高校2年の時、私は偶然日本の文化を接することができて、日本へ留学行きたいと思いました。日本語のレベルはひらがなだけで、字幕無しには映画もテレビもみれがかったです。母に日本に留学いく!と言ったらダメと言われました。一人っ子だし、娘だから心配だったようです。何回も母にお願いし、私は日本語の塾に行く事ができました。地元には日本語の塾が無かったので、ソウルまで毎日新幹線のような汽車をのって通いました。定期代、塾代、学費、食費など今考えるとお母さんにとてもとんでもないお願いでした。だめな娘です。笑

慶應に入学してから、新しい国、新しい友達、全てが私には新しかったです。友達にもいっぱいつき合い、サークルを考慮したときに柔道部の見学は私にとても衝撃でした。みんながチームにために頑張ってる、選手では無い人も応援と仕事頑張ってる姿は個人競争が厳しい環境で育ってきた私にはショックでした。それを見て「私もこのチームの一員になりたい」と切実に思いました。さらにその当時に日比野さんと上原さんがとても優しくて絶対はいりたいと思いました。柔道部に入ってから4年間、一回も柔道部に入った事を後悔した事有りません。今考えると本当に、柔道部に入って良かったと思います。私は同期に恵まれ、先輩、後輩、OBの方々に恵まれました。4年間言葉も仕事もあんまり出来ない私の事を見捨てず、横で気を使ってくださってとても有り難うございました。心から感謝しております。

4年間日本での、慶應での、柔道部での思い出は私の人生で一生忘れられない貴重な経験になると思います。最後に早慶戦、団体戦が残っておりますが、最後まで頑張って応援したいと思います。4年間有り難うございました。