こんにちは。4年の須永です。

私は3歳ぐらいの時に柔道を始めました。親が柔道をやっていたわけではないのですが、訳あって参加した柔道体験会で大きな身体の大人を投げることに楽しさと感動を覚え、始めたそうです。

幼少期はやんちゃで、先生にいつも怒られ、正座をさせられていたらしいです。柔道場に遊びに行っている感覚だったのだと思います。

小学生低学年まではその調子で、嫌々ながらも週3回の練習を楽しんでいました。しかし、高学年から道場の先生が代わり、練習が厳しく、辛くなりました。道場に向かう途中のコンビニのトイレで練習が終わるまで隠れていようと何度も考えました。柔道を辞めたいと考えることもありましたが、先生のアドバイスに従い、左組にかえたり、技を練習したりしたことで多少試合で勝てるようになり、柔道が好きだという気持ちが芽生えてきました。小学生6年生の時に神奈川県の強化選手に選ばれ、そこでできた友人とは今でも続く仲であり、私に良い影響を与えてくれる大切な存在となっています。

中学入学は大きな転機でした。小学生の最後の年に少し結果を残せたことで柔道にもっと本気で取り組もうと思い、兄の勧めで桐蔭学園中学校に入学しましたが、文字通り地獄の日々でした。週7日の練習、それも相手は全国トップレベルの男女高校生。入学して間もない頃に身長が1.5倍ほどある5つ上の先輩に5分間ボコボコに投げられ続けた時には死を覚悟しました。先を見ることもできず、なんとかその日を乗り越えるという日々でした。練習の辛さと高校生に対する恐怖心から、絶対に高校で柔道を辞めてやると思っていましたが、最後の年の県大会で少し結果を残せたことに加え、高松先生直々に「れんやもいるし続けるよね?」と言われたことで、高校でも柔道部に入る覚悟を決めました。

ちなみに、中学1年生の夏、2年生の冬は髙に負けています。平山とも試合をしたことがあるみたいです。

高校入学当初、私は普通科ではなく理数科に進学したことから柔道より勉強をメインでやりたいと言い、柔道は週に3回ほどしか参加していませんでした。今考えると、その時そんなことができていた自分が恐ろしいです。同級生含め誰にも勝つことができず、部内最弱だったことから、最初から勝つことなんて諦めていました。理数科で勉強が大変だから、練習できていないから、スポーツ推薦じゃないから、そんな言い訳で自分自身を擁護し、逃げ続けていました。高松先生には完全に見捨てられており、厳しい声をかけてもらうことはほとんどありませんでした。しかし、やはり周りの環境の良さが大きく、練習をこなし続けることで高校2年時から少し試合で勝てるようになり、インターハイ予選の準決勝で負けた際に柔道人生で初めて悔し涙を流しました。そこからは本気で全国大会出場を目指し、柔道に向き合うようになりました。結果としては惜しくも全国大会出場を果たせず、大学へその目標を持ち越すことになりました。

大学では良くも悪くも柔道を楽しんでしまいました。入学してすぐに新型コロナウイルスの影響で練習ができなくなり、柔道以外の沢山のことに触れました。それによって、それまでは柔道しかなかった自分とは全く違う自分になりました。全国出場に対する熱意も薄れてしまい、ただただ毎日の練習で相手を投げれることを楽しんでいるだけ、それで満足していました。そうしてる間に小学生時代からの友人や中高の同期とは埋められないほどの差が生まれてしまい、そこに目を向けることもできなくなってしまっていました。結果、4年間で一度も全国大会に出ることができず、夢は夢のままで終わりました。しかし、4年間柔道部で過ごす中で新たに生まれた早慶戦勝利という目標を果たすチャンスはまだ残っています。一部員としても、副主将としても、4年生としても、先輩としても、特にこの一年間後輩に不甲斐ない姿しか見せてこれませんでした。誰のためでもなく、自分のために。試合を見てくれるすべての人々に、最後にかっこいい姿を見せることができるよう、柔道人生約20年をかけて作り上げた自分の柔道で、全ての相手に勝利します。

都倉、細谷、髙、平山、あかり。大変だった一年間の最後、全員で死ぬ気で頑張ろう。

長々と自分語りを続けてしまいました。

感謝の言葉は、直接伝えられる人には全てが終わった後に直接伝えたいと思います。

ですが、その機会がない人もいますので、一言だけこちらに残しておきます。

本当にありがとう。