こんにちは。法学部3年の猪熊彩です。

最近ふと考えたことを書きます。世の中のお兄ちゃんお姉ちゃんは家族から「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ばれたり、下の子に対する一人称として自分のことをそう呼ぶことはあっても、妹、弟側が「妹」「弟」と呼ばれたり自分のことをそう呼ぶことってないと思います。これって、兄、姉側は家庭内での立ち位置で呼ばれるわけですから、彼らのアイデンティティにすごく影響を与えるのではないでしょうか。

なんでこんなことを考えたかというと、三年生になってから「先輩」と呼ばれる機会が増えたことで先輩としての自覚が芽生え、柔道部におけるアイデンティティを前より確立できた気がするからです。(仕事を任されたり、頼られる機会が増えたことも関係しているとは思いますが)

しかしアイデンティティには悩み続けています。私は、コミュニティによって見せる顔が全然違います。そのためどのコミュニティの自分が素の自分なのか分かりません。自分が所属するコミュニティ①とコミュニティ②のベン図の共通部分でコミュニケーションを取らなければならない時、私は①、②どちらの自分でいるべきなのか、すごく葛藤しています。また、私は喜怒哀楽がとても激しいタイプで、元気な時に立てた予定に自分自身でついていけない時が多々あります。そんな時、自分自身が解離している感じがあります。

先日、バイト先の人とお酒を飲みながら腹を割って話す機会がありました。その時「いつもすごい気張ってるよね、取り繕ってるよね」的なことを言われました。図星でしたし、そんなこといままで言われたことがなかったので自分のことを見透かされているようで、ちょっと焦りました。彼女の言う通り、私はなかなか素の自分をだせません。いつも素を出せずに取り繕って、コミュニティによって顔を変えているのは多分プライドが高いからです。家族の前では、素でいることができます。(プライドがない状態を”素”だと定義する場合) 私の無駄なプライド、低くなれ!!私のプライドをぶっ壊してくれるのはなんだかこれから始まる就職活動のような気がしています。素の自分で就活したいです。ずたぼろに打ち砕かれて、強くなりたいです。

 

自分の弱みをこうやって日誌で吐露するのも、無駄なプライドを捨てたいからです。とりとめのない日誌でごめんなさい。

本日はこれにて失礼いたします。

 

ps 柔道部お掃除部門まだまだ頑張ってます。