温厚でマイペース、自分の世界を持っているが熱い情熱を秘めている。面倒見が良く、物事を常に楽観的に見ている。そう思われているのが松永蓮太郎だろう。
この夏は長かった。
帰省した先で夏を謳歌した。しかし帰省先でも合宿とその先の試合は頭から離れない。夏が憂う対象であることはこれに由来する。
遂に迎えてしまった合宿ではひたすらに日々をこなした。苦しい状況でも試合を考えると妥協はできなかった。ひたすらに同期の気丈さに救われた。
東京都学生。語るまでもなく学生最大の正念場。自分はこの試合に全てを懸けていた。この試合で結果を出せなければ柔道と決別する覚悟でいた。正直結果を出さなければいけない、なんて生ぬるい心境ではなかった。出せなければ死ぬか退けと自分で決めていた。だから結果を出さなきゃな、なんて同期と言い合っている余裕はなかった。言葉に出せば本当に死ななければいけなかったから。
試合前は組み手の初動しか考えていなかった。凌いで凌いで凌いだ結果、念願の全日本学生出場を決めることができた。実に6年ぶりの全国大会出場は身に余るほどの満足感があった。憧れの先輩達に一歩でも近づけた、苦労が報われた、死なずに、退かずに済んだ。ここで終わってもいいとさえ思った。この時、全日本学生は甘くないから負けても仕方ないよねと勝った瞬間から自分で弁明の準備を始めた。笑顔でそう言っておけば誰でも納得すると思った。
しかし昨日、全日本学生。負ける気はサラサラ起きなかった。期待を背負って一回戦負けは恥ずかしいと理解し、勝負を前にするとやっぱり勝ちたくなる刻まれた柔道家の性を自覚した。しかし簡単ではなかった。実力を出すことすら許されず敗退した。
わかっていたけど柔道は甘くないなぁ、また頑張ろう。そう思った。応援に来てくれた人たちに挨拶をして、先生にも報告して、親や友人に説明して、俺は頑張った。これでよかったはずだった。
本当に満足なはずだった。
一ヶ月間たくさん応援の声を聞いたけど頑張って負けたんだから満足だよね。
大怪我で捨てたはずの柔道人生でもう一回全国の舞台に来られたから満足だよね。
尼崎に出場できるからこの試合での勝敗は関係ないし満足だよね。
義塾の代表として出場してチームメイトからの信頼も得られたし満足だよね。
身近に同い年でランクインしている選手がいるけど出場できたんだから満足だよね。
そいつらは所詮就職では苦労するだろうから柔道で全国一位になっても慶應生は満足だよね。
インタビューで我が物顔で自伝を語っているけど俺には俺なりのドラマがあるから俺だけ知っていればいいよね。
楽観的なふりしてニコニコマイペースに面倒見てれば負けても痛くないからいいよね。
人間負けることを知ることで強くなるって!弱さを知った時が成長の一歩!俺は弱いなぁ!よし認めた!満足満足!
いつも通り自分に弁明をした時に今までとは違う違和感があった。
負けて帰ったあと一人になった時、杉村先輩の声が離れなかった。組み合っている最中にも自分のことのように全力で応援してくれていた先輩の声が離れなかった。監督や付き添いの仲間でなく杉村先輩の声だった。そして思い出した。なぜこのタイミングで思い出したのかはわからないが思い出した。
勝たなければ意味がないと、就職なんか関係ないと、練習で投げても意味がないという言葉を。
杉村先輩は大抵の人とはモノが違う人だと思っていた。要領が良い、センスがある、努力もできる、そんな先輩の言っていた理想は強者故のわがままだとずっと思っていた。昨日までずっとそう思っていた。
しかしあの場に立って少し理解した。去年の杉村先輩はこの大会をどんな気持ちで断念したのか、勝負の最前列で誰よりも必死に王座を狙っていた先輩が出場を諦めたこの大会で、他の奴らがそこに立っている意味を。自分以外がそこに立っている意味を。その現状に弁明して文句をつけようとしている自分、勝負の輪にも入ろうとしない自分が情けなくて仕方なかった。
勝たなければ意味がないなんてシンプルな言葉の意味も理解できなかった自分が惨めだった。
勝負の最前線で戦い続けた杉村先輩を別枠だと考えていた自分が憐れだった。
試合後に同期の土屋文乃は言っていた。勝つ世界を知らない人には勝っている人の世界は想像もできない、と。
時には冷めた目で俯瞰し、ただただ勝ちたいと言って、日頃の生活では柔道人たる姿勢を見せていれば良いと考えていたそんな僕のような人物がいた中で杉村先輩は一年の頃からずっと戦い続けてきていた。その過程は侘しいなんてものじゃなかったかもしれないと思った。杉村先輩にはたった一度、しかも全国大会の初戦で敗退した身で語るなと、理解したつもりになるなと怒られるかもしれないし、もしかするとこの憶測は僕の妄想にすぎないかもしれない、
でもあの言葉は、勝たなきゃ意味がないって言葉は本当だと断言できる。
なぜ自分以外が残って戦っているのか、なぜ自分を差し置いてそいつらがクラウンに手を伸ばしているのか、なぜ自分はそれを受け入れてしまっているのか、なぜ争おうとしないのか。
身が張り裂けるほど悔しくなった。試合を振り返って出ない方が良かったのではないかとすら思ってしまった。
仲間たち。
知ってるだろうか?マネージャーは早稲田に救われてるんだって。
自分のチームの選手が出ない試合で、ルールも知らない素人が知らない大学の動画撮影を任されて、その大舞台で唯一知ってる早稲田大学の選手を撮ることが退屈な作業の中での救いだって。
これを知っても何も思わないか?
自分は高校一年生の最後に大怪我を負って一年間程ブランクを抱えてしまった。そこで救ってくれたのは同期達の存在だった。柔道を続ける意味を与えてくれたのは今の仲間たちだ。
土屋文乃のお母様に言われたことがある。
あなたは誰かの為に戦うような人間じゃないように見える、と。
僕は答えた。
僕は自分の為というより仲間のために戦いたいと思ってますよ、と。
自己の為に戦うことをやめて、僕は今僕を救ってくれている仲間のために戦っている意識があったからそう答えた。
そんな仲間たちが、恩人たちが何を冷めた目で他の奴らの台頭を見守っているのか。
松永蓮太郎の仲間は松永蓮太郎を救った最高の仲間だって、もっとすごい人物達なんだって証明しなくていいのか?
恐らく現主将の都倉先輩も孤独の中にいる。誰も見ていない世界を唯一見た人物だ。その景色、過程を知らない者に揚げ足を取られたり、プレッシャーと重圧に晒されて尚、戦い続けている。その孤独や侘しさを共有すること、これ即ち常勝のチームなのではないだろうか。
今回の大会で僕は自分の浅はかさを痛感した。愚かで浅はかで幼稚だった自分だ。
青い夏の区切りに一度自分を捨ててみる。
全てに全力で、本気を体現できる情熱が溢れ出る、本当の敗北を恐れない勝利至上主義の自分になりたい。
そして何よりそんな志を同じくした仲間と柔道がしたい。そんなチームになりたい。嘘じゃない。本当の気持ちだ。
そんな仲間全員で勝負の世界を眺めることができた時、その時こそ真の仲間になれると思う。
ここで大学の情熱を捨てていいのか?
僕は嫌だ。
自分が選んだ慶應義塾柔道部という道が最高だったと死ぬまで言い続けられる青春が送りたい。