こんばんは、2年の井口です。昨日から急激に寒くなり、実家の床暖房の上でごろごろしながらお送りしております。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

さて、先日ついに私が小学生の時代から、常に世の話題となっていた「進撃の巨人」のテレビアニメが最終話を迎えました。大変感慨深く、感動の最終回でした。あまりにも衝撃の最期だったので、今回はそちらについて書かせて頂きたいと思います。

私が初めて進撃の巨人に触れたのは、小学校4年生か5年生の頃の夏合宿の帰りでした。ふたつ上の先輩が当時話題になっていた進撃の巨人の漫画を読んでおり、見せてもらおうとしたところ「お前が読んでも絶対理解できないよ。」と言われてしまい、それが悔しくてアニメを1話から見始めました。進撃の巨人のアニメは全部で6つの章に分かれており、それぞれの章をアニメで放送するのに約1年の期間が空きます。小中高生時代の1年というのはとても大きいもので、前に見た時に理解できなかったことが、翌年にはすっと理解できたり、筆者の意図に触れることができたりした時には、自身の成長を感じさせてくれました。

小学生の頃、家で録画して毎週楽しみに見ていた進撃の巨人の最終話を、大学2年になった今、六徳舎のベットで見ている、エモすぎて巨人化しそうでした。

漫画版は、数年前に終わっていたので、最終話でどういう結末を迎えるのかは知っていたのですが、映像、音楽、10年間のアニメ製作者エピソードなど、その全てが感動でした。また、謎を少し残すことで、その解釈、筆者の意図としている部分を読者のバックグラウンドに委ねるところが諫山先生の恐ろしいところで、なんと、私、最終話が終わった今週、2年前のシーズンから見返し始めてしまいました。物語が終わってもまだ読者を楽しませ、考えさせる、本当に言葉にできないほどスゴいです。また、それぞれの解釈を別の読者と共有し議論するのも大変興味深いですので皆さんもぜひ、ご一読下さい。

実は、大学生になってから見返したアニメがもうひとつあります。それは、みんな大好きNARUTOです。NARUTOは、小学校の時にテレビアニメで最終回を迎えていて、夜の稽古に行く前に必ず見ていました。当時は術がかっこいいとか、キャラクターが好きとかビジュアルエイド的観点でしかアニメを楽しめていなかったのですが、先日、なんとなく見返したNARUTOが深すぎてこれまた巨人化しそうになりました。皆さんもぜひ昔懐かしいあのアニメを大人になった今だからこそ見返してみてください。

お わ り