失礼いたします。甚だ僭越ながら自己紹介させていただきます。私本年度慶應義塾體育會柔道部並びに、慶應義塾大学部 経済学部1 年の柴田和志(しばたかずし)と申します。以後よろしくお願い致します。
出身校は慶應義塾高等学校で、出身地は神奈川県の大磯町です。尊敬する真田康志郎先輩と、同期の真田優誠とは同じ小学校で育ちました。幼少期は、自然溢れる環境で伸び伸びと過ごしてまいりました。高校では1時間半程かけて日吉まで通っていたため、電車に乗らなくていい六徳舍からの通学を天国のように感じ、日々を送っています。
最初の投稿ということで、僕の経歴について書かせて頂きます。2006年6月23日に隣町の平塚市の病院で生まれました。母親は小中高と吹奏楽部で、父親は高校のサッカー部を一年で中退。柔道とは無縁の家庭で育ちました。幼少期の私は運動神経が皆無。鬼ごっこは私が鬼になると誰も捕まえることができないので、そのまま鬼ごっこが終わるなんてこともしょっちゅうでした。
唯一好きだった遊びは折り紙。室内遊びでは1人でひたすら折り紙図鑑をみて、制作に励んでいたのを覚えています。最初は平たいだけの紙が自分の手によって様々な形に変わってゆくのがとても快感でした。自分の手で大きな折り紙図鑑を作るのが当時の夢でした。5歳で近くの美術教室に通い出し、そのときまでは、生涯文化部のレールに乗っていたと思います。
そんな僕が柔道を始めたのは6歳のときです。同じ保育園に柔道チームの先生の子供がおり、当時から身長だけはあった僕は親同士の交流で柔道チームに見学にいくことが決まりました。ある日、母親に「楽しいところに連れてってあげる」と言われました。当時の僕の「楽しいところ」のイメージといえば、なんといっても遊園地。遊園地に連れてってくれるんだ!と思い楽しみにしていたらまさかの夜、雲行きが怪しくなり車を止めた場所はなにやら物騒な建物。そうです、柔道場です。怒号が飛び交う部屋の扉をあけ、坊主軍団が一斉に「こんばんは」と発したときの光景は、幼い僕にはあまりにもショックで、今でも鮮明に目に焼きついています。その日から僕の柔道人生がスタートし、週4日、道場に行く日々が始まりました。最初は道場にいくのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。知らない人ばかりだし、疲れるし、なにより先生が怖かったです。当時、母が「柔道楽しい?」と聞いたとき、「母、柔道は楽しいとかそういうのじゃないんだよ。」と言ったそうです。
嫌々、続ける内に、一回戦の試合に勝てるようになりました。日常面では足が徐々に速くなり、鬼になっても頑張ればタッチできるようになりました。柔道を続けるうちに次第に運動音痴もよくなっていきました。3年生までは休み時間はクラスにこもり1人で絵を描いていましたが、4年生からは休み時間に行われていたドッチボールに参加するようになりました。4年生の体育の時間にサッカーでハットトリックを決め、それがきっかけでクラスメイトの女子から初めてのバレンタインチョコをもらうなんてことも。あれはアツかったです。中学では足が速い勢に加わることができ、運動会の選抜対抗リレーにも選ばれるように。努力が報われたときの達成感を知り、少しずつ柔道が好きになっていきました。
小学校6年間、中学校3年間と愚直に柔道と勉強に取り組んだ結果、推薦入試で慶應義塾高校に入学することができました。
慶應義塾高校に入学してからは、毎日が苦難の連続でした。勉強も柔道もこれまでとは別次元、周りとの差は歴然であり、後ろについていくので精一杯でした。寝る前は明日がくることに怯え、起きては泣いてを繰り返していました。朝、制服を着た後に、そのままお風呂に入ってしまうなんてこともありました。
高校では私が1番に尊敬する、山元惇暉先輩と出会います。先輩は当時から本当にストイックで、練習後、皆が疲れ横たわる中、トレーニング場に真っ先にいき、身体を追い込んでいました。先輩は僕と同じ通い生で、家の方向も同じであったため、大変面倒を見て頂きました。日々の練習、勉強、主務の仕事で忙しい中、帰り道で疲れた僕を励ましてくれました。先輩には、筋トレのノウハウ、勉強方法、ハンガーの使い方など、沢山のことを教えて頂きました。なんでここまで頑張れるのだろう、あつき先輩になってやる、心からそう思っていました。当時から顔が整っていた先輩が「俺がイケメンすぎて辛い」「たまには追う恋させてくれ」と嘆いていたことを思い出話にできる今を幸せに感じています。これからも末長くよろしくお願い致します。
高校生活は僕にとって非常に長く濃い日々であったため、書きたいことが山のようにありますが、今回はここまでにします。恩師の鏑木文隆先生には大変多くのことを教わり、感謝してもしきれません。慶應義塾高等学校での日々は僕にとって一生の財産です。
大学では、自分で生きることの大変さを痛感しています。実家通いから寮生活になり、自分でやらなければいけないことが大幅に増えました。両親には金銭面は勿論のこと、洗濯、ご飯、掃除、書類の手続き、心のケア、多くのことで助けられていたのだなと常々感じております。
また、柔道部の先輩方、同期にもすでに数えきれないほどの恩を頂いております。これまでお世話になった全ての方々に恩返しができるよう、日々の稽古に励んでいきたいと思います。慶應義塾の名に恥じぬよう、強く立派な男になれるよう精進して参りますので、今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。