こんにちは。一年の松永蓮太郎です。早いものでとうとう八月、暦の上では夏の最後の月となりました。大学の長い夏休みは自由という誘惑に負けず、素晴らしい夏だったと思えるような何かを残せるようにメリハリのある生活を心がけたいです。

今回の部員日誌は同期の成宮も書いてくれたように、自分的ヒーロー像について書きたいと思います。さっそくですがみなさんはヒーローと言ったら何を思い浮かべるでしょうか?仮面ライダー?プリキュア?はたまた現代社会の基盤となるネットワークの世界を作り上げたスティーブ・ジョブズ?もしかすると社会に貢献してくれている家族をはじめとした労働者だなんて方もいるかもしれません。それぞれに憧れるヒーロー像というものがあると思うのですが、僕が憧れるヒーロー像はずばり、世界にはびこる悪を断罪する正義の執行者、勇者です。といいますのも最近はドラゴンクエストというゲームに夢中になっていまして、勇者が悪戦苦闘しながらも仲間と協力し魔王を倒すという壮大なストーリーに影響されて幼く冒険心に満ちた精神を思い出したからです。もちろん社会に貢献する人間であったり何かしらのイノベーションを起こすことのできる、勇者といっても相違ない人物になりたいとも心底思っていますが、僕は本当に魔王を倒したいのです。比喩や妄想などではなくリアルで。魔王の攻撃を掻い潜りながら仲間の支援を受けて魔王に会心の一撃を叩き込む、直接的に世界に平和をもたらす正真正銘の勇者になりたいのです。ちなみにですが、僕はまだ二次元の世界と現実世界の区別はついておりますので心配は必要ありませんぺこ。ではどうしたら僕は勇者になれるのでしょうか。

成宮の部員日誌では、オリンピックのアスリートは世界に活気をもたらす勇者のようなものだとしていますが、魔王を倒していないので僕の思う勇者とは少し違います。ただ、だからといって残りの人生を魔王出現しないかなぁと待ち続けるのも無謀なことくらいは気づいています。そんなことをしようものなら息を吸って吐くように人生が終わってしまいそうです。これには、人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短いと詠んだ山月記の主人公もびっくりの無意義すぎる人生になること間違いなしです。そこで考えたのが光が有れば影が有る理論です。善意思に基づいた行動の継続は同時に悪意思を持った存在を引き寄せるというこの理論は成宮から提案してもらったもので、たしかに世界の諸悪と対峙するにはそれが一番早いなと考えました。それには既に紹介されたように人助けが第一歩な気がします。そんな大層なことをしなくてもゴミを拾うなどといった簡単な行動の積み重ねが悪を引きつけるのかもしれません。

僕は善意思、悪意思と言いましたが、では何をもって善悪を判断するのか、それは正直僕もよく分かりません。勇者は人間側からすれば勇者ですが、魔王だって敵側からしたら一種の勇者なのです。ですが強いてこの部分の解釈をはっきりさせるのであれば、戊辰戦争で西郷隆盛が言ったとされる、勝てば官軍負ければ賊軍、や国民的アニメワンピースのドフラミンゴが言った勝者だけが正義といった言葉が表すように、勝った者のみが正義を語れるという実力主義の非情なシステムが勇者になるためにも必要と言わざるを得ないでしょう。結局勇者になるにしてもまずは実力が必要なのです。

つまり何が言いたいのかと言いますと、トレーニングは大事ってことですね。書いていて気づきましたが、やっぱり勇者は生半可な努力じゃ到底なれそうもありませんでした。血の滲むような努力をしても勇者になれるかなんてわからないのに行動を起こさずして勇者になろうだなんて浅はかすぎましたね。蒔かぬ種は生えぬとはこのこと。まずは来る試合に向けて体づくりをはじめとして試合で勝てるチームのヒーローを目指すことにします。僕はここに思いやりのある実力の伴った人物になることを誓います。いずれ訪れる決戦で最強呪文ベギラゴンを撃てるように…

最後までご精読いただきありがとうございました。