失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させて頂きます。私本年度慶應義塾體育會柔道部並びに、慶應義塾大学商学部1年の山元惇暉(やまもとあつき)と申します。以後宜しくお願い致します。出身校は慶應義塾高校で、神奈川県茅ヶ崎市出身です。茅ヶ崎といえば、知らない人はいない桑田佳祐や加山雄三の出身地であり、海があり、田舎で住みやすさ抜群の自慢の地元です。

初回の投稿となるため、今回は慶應義塾に入塾する前の柔道歴を中心に語らせて頂こうと思います。私は5歳の頃柔道を始めましたが、柔道の事が心の底から嫌いでクリスマスの時、「柔道を無くしてください」と紙に書き、こっそり自宅の窓に貼るほどでした。始めたきっかけも父がプロレスが好きで、小川直也に会いたいということで道着を着させられ、茅ヶ崎にある小川道場に入門しました(母はバレエをやらせたかったそうです)。今でも両親に「今日は楽しい所に行くよ!」と言われ、小川道場に連れて行かれ、、泣きじゃくりお漏らししたことを覚えています。しかし、 当時の私に言ったらドン引きされそうですが、今では柔道のことを考えなければ寝付けない身体になってしまいました(なることができました)。

小学生の頃は、柔道の練習が近くなると体調が悪くなり、発熱して、当時の私にとってはとても便利な身体でした。練習も半分とまでは行かなくともかなり休みがちで、道場の先生には来ると「激レアが来た」とよく言われていました。練習は16時半からランニングを1時間程して、21時ほどまで稽古、掃除という練習内容で当時の私は、「友達は遊んでいるのにも関わらず、何しているんだろう」、「バレエやりたいって言ったら柔道辞めれるかな」、と柔道を辞めるために試行錯誤を続けていました。しかし、それでも柔道を辞めなかった理由は、仲間との関係を断ち切るのはどうしても嫌だという思いが最後の最後まで踏み止まる支えになっていました。そんな仲間とは今でも仲良く、一生涯続く仲間であるのだろうと思います。とは言いつつも、まだ柔道に対してのモチベーションは皆無であった私は、中学生になり、身体も強くなり、練習が近くなっても熱が出ない身体になってしまいました。練習に出るしかない私は、当たり前ですが練習すると強くなることに気づき、階級別となり勝ちやすいことに気づき、もしかしたら結果残せるのではないかと少しずつ柔道へのやる気が高まり気づけば、自宅のベランダに鉄棒を自作し、毎晩懸垂をやるという小学生の頃の私では、到底考えられない行動をし始めました。そのように急にやる気が上がった中学生時代を過ごし、小川先生、一杉先生、両親の支えのもと全国大会に出場することができました。しかし、一回戦敗退で終わってしまい絶望感に浸されている私は、その大会会場で鏑木先生と出会い、鏑木先生から出る強者の覇気を感じ、慶應義塾高校に挑戦しようと決断致しました。高校では、目立った結果を残せることは出来なかったのですが、柔道の技術は勿論のこと人として大切な事を、鏑木先生、古賀先生、濱本先生から教わることが出来、間違いなく人としての基盤を培ったのは高校3年間であると感じています。

大学生になると、普段から、つききっきりで見てくれる方はいない為、自分で自分を奮い立たせて稽古に励むほかありません。中学、高校での悔しさを、集大成である大学で結果を残せるよう精進させて頂きます。ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い致します。