お世話になっております。商学部一年の大月です。

この度無事に進級できることとなりました。過度の心配性により、試験期間から、留年するかも…などとほざいていましたが、大変申し訳ありませんでした、大変余裕を持って進級してしまいます。またまた詐欺紛いの失言をしてしまいました。今回の成績発表を教訓に、今後成績の話題が上がった際には口を固く閉ざしておこうと心に決めました。

さて、花粉が猛威をふるい、目と鼻を取り外して洗いたい今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。不名誉なことに、今年から本格的に花粉症の仲間入りを果たしました。今まで幾年もこの辛さに耐えてきた歴戦の花粉症患者の方々に、この場をお借りして深い敬意を表します。

花粉症は今年からですが、私には長年付きまとわれている怪我があります。もう記憶も曖昧ですが、小学3年生頃だったと思います。その時の左足首の骨折が原因となって、いつの間にか手術をすることになるまでに悪化していました。2回の手術を乗り越え、大学生になった今でも左足首の痛み、違和感に悩まされ続けています。今回のWCTで古傷再発となり、引退も考えるほどに追い込まれました。半?泣きで藤井主将と話した数日後、リハビリを頑張れば残り3年間なんとか続けられるという判断が下り、怪我を改善させ、もっと体を強くして、強くなって畳に戻ってやるという決意のもと最スタートを切りました。しかし、元々弱い自分がどんどん差をつけられていく焦りや、一番の弱点である足腰を鍛えられないもどかしさ、またそもそもこの怪我を乗り越えることが可能なのかなどの不安要素が、精神的に大きな負担となっています。同期の山元などが午前の練習の後に午後からまた練習に行く姿を見ると、一緒に行けない悔しさと、さらに遠くに行ってしまいそうだという恐怖感に支配される感覚に陥ります。どれだけトレーニングを頑張っても不安感は消えないので、お豆腐メンタルが今にも崩れ去りそうな毎日を過ごしています。これまでは苦難は多少あれど、なんやかんやうまくいってきたつもりでしたが、今回はそう容易くないようで、長い間苦労の連続となりそうです。ただもう一度やると決めた以上、弱音を吐くのはこの機会で最後にし、今できることをよく考えて精一杯頑張ろうと思いますので、どうか今後とも変わらずご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。そして、今回の件に関しまして、激励をくださいましたOBの先輩方、先生、相談に乗って下さった2・3年生の先輩方、笑いに変えてくれた同期の山田、ムネヒロ、異常なほどに心配してくれ、相談に乗ってくれた海部、よく話を聞いてくれた山元、石ムラ、ジュン、ミン、石畠、そして一番相談に乗ってくれて、一番背中を押してくれた父親…と本当にたくさんの人々に支えられていることを実感し、とても大きな力を頂きました。本当にありがとうございます。今まで以上に頑張りますので今後もよろしくお願い致します。

ここまで書く中でも、タイピング回数よりくしゃみと鼻をすする回数の方が多いのではないかというほどで、気が滅入ってしまいます。早く夏よこい。

終わった感じを出しましたが、まだ続きます。ここからは秋学期から入部しているものの、まだ部員日誌のアカウントを貰えていない、二人の韓国からの留学生、ジュン、ミンの自己紹介を載せさせて頂きます。とても流暢な日本語ですが、私は何一つ手を加えておりません。

 

・ミン

こんにちは。文学部一年の呉銅敏(オ ドンミン)です。

ここで挨拶させていただくのも初めてですね。これからよろしくお願いします。

初めてということで今日は柔道をはじめた理由についてお話させていただければと思います。まず、柔道というスポーツに興味を持ったのは、なんと大学に入ってからのことです。すごく遅かったですね。今でも悔しいと思っています。

2021年度、コロナ禍の中で行われた東京五輪、家でオンライン授業ばかりとっていたので、あまりにも時間が多くて、一日中みてました。その中でも柔道は見てて一番楽しかったです。初めて覚えた選手たち。大野翔平、アンチャンリン、永瀬貴規、ウルフアロン選手。いつもやっていたバスケをやめ、高校3年間受験に集中してきたため、体は道端のおじいさんにも負けるぐらいボロボロになってて、自分が情けないとしか思いようがなかったのです。

受験が終わって大学に受かり、目標も夢も持たず、だらだら過ごしている自分と夢のために命をかけて頑張っている選手たちの姿にはどうしても乗り越えることのできない壁があるように思われました。

このままじゃいけないと。

すぐ、近くの道場に訪れ、学ばせていただくことになりました。残念ながら、軍隊から呼ばれ、1ヶ月しか通えなかったのですが、自分の中で一番好きなスポーツはそのごろから柔道になりました。

前回行われた全日本学生大会をみて、さらに柔道という二文字に熱情を持つようになりました。ずいぶん遅れた分、みんなに追いつけるために人一倍努力するしかないと思います。

「日々反省、日々成長は前に進むこと」

お笑い芸人、ジャルジャルさんたちのネタの一つとして使われている言葉です。もともとある言葉かどうかはわからないですが、これは単に笑い飛ばせる言葉ではありません。日々の成長に集中しない者が、より大きな目標を達成するなんてあり得ない話です。毎日の練習、毎日のトレーニングなしに全学を夢見る、口先ばかりの人間にはならないよう、毎日の自分を省み、明日は今日より一層すばらしく、ほんの少しでもいいので、成長しつづける人間になりたいと思います。改めましてよろしくお願いします!

 

・ジュン

失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させて頂きます。
私本年度慶應義塾體育會柔道部並びに、慶應義塾大学文学部1年の韓俊成(ハンジュンソン)と申します。
出身は韓国の西海高等学校です。以後よろしくお願い致します。

私は前に柔道をやったことはありません。今までやってきたスポーツはバスケやサッカーぐらいで、
常にチームプレイを伴う種目ばかりでした。そして、そんな私が塾柔道部に入部しようと決心した理由について話してみたいと思います。

一言で言いますと、「世の中の何よりも柔道をやりたい」という熱望を抱いていたからであります。
これは少し辻褄の合わない話かもしれません。先ほどまでは柔道と離れていた人生を生きてきたと書いているのに、
突然柔道に対する熱望を語ることは理解しづらい展開でしょう。なので、ここでは私の「柔道との出会い」について紹介してみます。

時は中3だったと思います。その日は家族と一緒にリビングでニュースを見ていました。ニュースでは凶悪犯罪についての報道が流れていまして、皆で「怖い時代になったなー」のような話をやり取りしていました。そこで、柔道と私の出会いが生まれるような事件が起こります。それは、その次に報道された警察官が犯罪者を制圧する場面でした。詳しく言うと、敵意を持って警察官に走り出す犯罪者を警察官が柔道の技である支釣込足で手軽に倒す場面でした。それは、柔道なんて少しも知っていなかった当時の私の目では、魔法に近い光景でした。そこまで力を入れているように見えないのに、簡単に相手を文字通り「ぶっ飛ばす」光景はショックを超えて「奇跡」だとしか思えませんでした。その後、私の頭の中の全ては柔道に関わるものばかりだけが浮かび上がって、「これは病気だな」と思うぐらいまで症状が悪くなりました。それで、
私は家の近くの道場に行こうと思い、一所懸命両親を説得しました。しかし、勉強の事情もあり、高校に入るなり病気のせいで病院で長い時間を過ごしたりしながら、現実的に柔道とは遠ざかっていきました。それで、柔道への思いは心の中で抑圧はされるようになりました。また、大人になっても徴兵などで柔道のことは思えない環境にほぼ拉致されまして、いつの間にか柔道に対する「望み」は「執着」になってしましました。「必ず死ぬ前にはやって見せてやる!!」という気持ちですよね。
このような理由で、柔道部への入部は私にとっては何よりも嬉しく、ワクワクすることでした。ついに会った「柔道」という夢の相手を、愛し、磨き、完全に手に入れたいという熱望を忘れず、これからも全ての力を尽くします。

 

午後にほぼ毎日道場で見かけるほど努力家な二人の今後の成長を見守って頂きますようお願い致します。

気温の変化が激しくなっておりますので、どうかご自愛専一にお過ごしください。