こんにちは。4年の細谷です。本日も張り切って日誌を書いていきたいと思います。

最近私の日誌が行間が無く、非常に読みにくい形態になっております。私自身は行間を設けて書いていますので原因不明です。御容赦願います。

本日の日誌は先日行われました都学個人とそれに向けた準備に関して書きたいと思います。

 

結果は2回戦敗退。学生最後の個人で全学出場を果たす事が出来ませんでした。1回戦は強敵で指導2を先に回される展開でしたが、GSで指導3を取り何とか勝利、2回戦は相手の得意の寝技を認識していたのにも関わらず一瞬の反応の遅さで抑え込まれてしまいました。結果が出せず、申し訳ございません。3日経った今になって悔しさが段々と増してきています。チームメイトの頑張りもあり、尼崎に出れそうなので、後2試合、チームの為に全身全霊で戦います。

 

もう少し自身の試合を振り返りますと、1回戦の勝利はまさに私らしい勝利だったのかなと認識しています。16年間続けてきた柔道での私らしさとは「我慢と執念の柔道」にあります。特段切れる技が無く身体が小さい私が試合で勝つには、GSで相手が苦しい所で攻める、組手で妥協しないなど1つ1つの我慢を繰り返す部分にありました。高校最後の試合で一度も勝てなかった相手に15分の消耗戦の末初勝利を収めたのも「我慢と執念」にあります。

この我慢と執念を鍛える為には「練習で如何に自分の嫌な事をやるか」、苦しいですがこれに尽きると考えます。パワーマックスが嫌でやりたくないから逆に1日2回やろう、とか。自分が「嫌だ」と思う所にこそ最も大きな成長のヒントがあると考えると嫌な事がむしろ美味しく感じてきます。そして、試合の時にはそれが我慢に繋がり、執念に繋がります。「あれだけ嫌な事をしたのだから負けるわけがない、負けられない」この状態に持っていける位日頃から自身と戦い続ける事が大切だと、最後の試合を終えて感じた部分でありました。

 

もう1点、試合の「執念」という部分に関して、「戦う理由」が私が小学1年生から柔道を続けてきて刻々と変化していると感じるので書かせて頂きます。小学生の時には柔道が嫌で嫌でしょうがなかった為、父に怒られない様な試合をしようと考え戦っていました。中学生になると今度は柔道部が無く、小学生時代のライバルとの差が開く事を恐れるようになり、それがモチベーションとなって戦っていました。高校になると、寮生活となり、日頃見えていない部分で感謝するようになり、そういう方々への恩返しの為に戦うようになりました。そして現在、私は「チーム慶應の為に戦う」これが私の戦う理由です。正直大学1年生の時には「チームの為」とは言えどもやはり注力するのは自分の個人の結果、個人で如何に活躍するかという部分でした。いつ変わったのだろう、それは自分でも分かりません。今回の個人戦でいえば「チームの尼崎の為に情けない試合が出来ない」これが執念の根本にありました。自分の為にではなく、チームの為、応援してくれる誰かの為という部分が戦う理由に来た時、自分の力以上の力が出るのだろうと肌で感じました。

現在のメンバーで早慶戦勝利の味をメンバーとして味わっているのはリキ、蓮太郎、僕です。チームの為、応援してくれている仲間、家族の為、歴代の先輩方の為、多くの○○の為が重なる一番の舞台が早慶戦です。僕はあの勝利が一番嬉しい勝利でした。2人もそうなのではないかと思います。そして特に今年は特に不利な状態です。勝った時の喜びは尋常じゃないと思います。後3か月、全力で頑張ろうみんな。

 

アツキやリクオが最近私のネガキャンのような日誌を書いていました。多少語弊があるので訂正したいのですが、長くなるのでやめます。アツキ君は一人っ子で私と重なる部分が多数あるかわいい後輩です。しかし、柔道以外の公私の「私」の部分は彼の方が充実しているようです。寮にいる時間も減りました。「私」の部分も重ねられるように精進します。アツキ、御指導御鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

 

おわり