こんにちは。商学部2年の入道隼人です。

突然ですが、皆さんはたられば話は好きですか?「あの時ああしていれば…」「あの時あっちを選んでいれば…」と後悔してしまいますよね。かくいう私も、この大学生活で決断と後悔の連続です。「この授業取らなければよかった」「なんで商学部を選んだんだ!」そんなことを考えていていました。何かを決断するということは、同時にもう片方の選択肢を捨てているということですから、100%後悔のない選択なんてありません。そんな後悔ばかり気にしていたとき、ふと高校時代の教師の言葉を思い出しました。

己の決断を尊べ

その人の授業で何度も何度も聞いた言葉。その教師の「言ってやったぜ」みたいなドヤ顔と一緒にこびりついて離れなかったこの言葉がゼミ選び、及びゼミ試験の結果を聞いた時にふと飛び込んできました。

この言葉を初めて聴いたとき、斜に構えがちな年頃だった私は「自分の決断なんだからそりゃ尊いだろ」くらいにしか思っていませんでした。しかし、様々な苦悩・決断・後悔を繰り返した今、あの時よりはこの言葉の意味を理解できていると感じます。

この言葉はただ単に「後悔先に立たず」ということを言っているわけではありません。己の決断を尊ぶということは、正しい決断が何かを考えるのではなく、「あの時こうしてよかった」と思えるように、今を全力で生きることです。

私はゼミ試験を受け結果的に1番入りたいと思っていたゼミに受かる事は出来ず不合格になってしまいました。私自身、将来何年も関わってくる試験を受けたのは中等部の受験の時ぶりで周りから見たらゼミ試験なんてと思われるかもしれませんが、正直結構落ち込んでいました。

ゼミのESをもっとしっかり書けば良かった。はなから自分の学びたい事とは少し違うけど、倍率の低いゼミを受ければ良かった。という後悔を最初はしました。しかし、今となっては結果的には不合格という結果ではありましたが、倍率の低いゼミを受けずに自分の学びたい事が学べるゼミを受けて、チャレンジをした自分の選択を「尊い」と思うようにしました。

これからも進学や就職など結果の見えない選択を何度も何度もするでしょう。どっちを選ぶのが正解なんだろうと苦悩を重ねることでしょう。先の見えない暗闇で、行く先はどこかと苦しむでしょう。しかし、用意された正解なんてありません。私たちにできることは自分がした決断を正解だったと思えるように努力することだけです。行く先はわからずとも、確実に、ゆとりとは逆の向きに、厳しい道を選んでひた走ることです。

そういった意味では決断の類義語は選択ではなく、覚悟なのかもしれません。

私も4年生になった時、この部にいて良かったと思えるよう、日々精進してまいります。

おしまい。