皆様ご無沙汰しております。

部員日誌の更新をきちんと守らないことで有名な菅原将吾です。

…更新遅れまして申し訳ありません。先日学生最後の合宿を終え、勉強生活に舞い戻り、現在は切れ痔と腰痛に悩まされています。助けてください。

まさか予備校の休みと合宿が完全に一致するとは夢にも思いませんでした。予備校が無くても家で勉強してろ、と言われればそれまでですが、どうしても血が騒いでしまいました。ただ、走って戦って煎餅布団の上で勉強した一週間に悔いはありません。楽しかったです。

さて、最近資格試験に向けて勉強をしていてつくづく思うのですが、体育会での活動と資格試験に向けた勉強は、似ているようで大分違うものなんですね。今から話すのは勿論、いつも通り持論ではありますが。

資格試験で最も重視されるのは結果です。どんな勉強方法をしようとも、不正さえしなければ、結果が出れば全て良し。これに尽きます。長年塾の講師をしてきましたが、志望校を変えることができる中学・高校受験ともまた違う、どうしようもないシビアさを持つのが資格試験だと感じています。受かるか、落ちるか、それだけです。プロセスは何の意味も持ちません。(と、私は感じています。)

つまり、勝てばいいんです。勝てば。

一方、体育会活動はどうでしょうか。勝てば何してもオッケー、といきたいところですが、そういうわけではありません。ここでいう『結果』が勝利だけではないのが一つ、大きなポイントになるんだと思います。

勿論、競技上『勝利』は重要な要素ではありますし、強い人は目立ちます。ちやほやされます。が、全てではありません。誰よりも声を出して練習を盛り上げる部員、冷たいお茶を用意してくれる部員、一生懸命に稽古をして模範になる部員、大会運営や組織運営に奔走する部員、勝てなかったとしても、引退までのプロセスは大いに評価されます。

上記のように、個々人が様々な形で役割を果たすことによって、言い直すと、自分の役割を見つけ果たし、良い効果を波及させるという『結果』を出すことによって、一番目に見えやすい形で『勝利』という結果の一つが生まれるんだ、と思います。つまり、勝てなくても自分の役割を見つけ考え、ベストを尽くせば、それは結果が出たのと同じことであり、評価されるのだということです。うーん、体育会って素敵。

ただ、強くなることも重要です。強くて組織に貢献できる人間が体育会としては至高ですから、如何に自分の競技力向上と、その他の貢献を両立していくか、これが体育会としての至上命題になりますね。

なんだか長くなりましたが、結果の出し方に多様性があることが、体育会活動の良いところなんだと思います。試合に出れない、自分の役割を見つけられない下級生は思い悩む時期だとは思いますが、思い悩み部のことを考えるのも立派な貢献です。一人一人が柔道部に欠かせない重要な一人ですから、お忘れなきよう…

引退を目前にして、自分が柔道部に何をしてきたか染み染み考えると、頭を抱えたくなります。もっと早く、変なプライドに邪魔されず、自分なりの結果を出して、精進しておくべきだった。後悔は尽きません。

ただ、幸いなことに引退までまだ時間があります。微々たるものではありますが、『あの菅原さんが練習やってる…俺もやらなきゃ…』効果を波及させるべく、稽古に出る日はもう少しもがきたいと思います。

それではこのへんで失礼します。ドロン