メリークリスマス!今年も楽しいクリスマスがやってきました。

クリスマスというと、21年度のクリスマスを思い出してしまいます。僕はクリスマスが大好きなのですが、21年は、戦車の軍事学校の生徒として訓練を受けておりました。軍隊の朝は早く、しかも冬だったのでいつも暗いという印象があるのですが、あの日、クリスマスもすごく暗くて寒く、雪がいっぱい積もっておりました。学校の中にある教会に行きまして、礼拝が終わって、なんとバーガーキングのワッパーを配ってくれました。元々バーガーキングが大好きだった僕は、久しぶりの外の食べ物に感動し、一口で泣きそうになりました。

軍隊にいた時代を考えると、今はすごく自由で、暖かいのですが、自由って面白くないなーと思ったりもします(やばい思想のように見えますが、、、)。スマホがあまり使えなかった学生時代は思い出がいっぱいで、懐かしい。減量後のおにぎりが一番うまい。スマホがまったく使えなかった軍隊では、一秒一秒を、自分の魂が、自分の肌がそのまま感じ、充実に使っていた気がします。なので、僕はスマホが大嫌いです。僕らの世代が、スマホがない学生時代を経験した最後の世代らしいです。スマホが登場してから、何も考えずに使ってきたのですが、受験の時や、軍隊の時にやはりスマホは悪だとつくづく実感しました。一緒にスクリーンタイムと戦いましょう!戦友募集しております。(この部員日誌が上がってから、次の部員日誌の更新日まで、僕から挑みます。次の部員日誌にはその体験談を残させていただきます。)

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今年の回顧録(最後の日記)

今年、というのは慶應義塾大学での2年目、文学部で専攻が振り分けられて初めての年。この一年を一言で表すと、「無駄に明かした夜たち」、、かな。いつから、暖かい日差しに眠気がさしてきたのかも覚えていない。きっと、夜を明かしてまでやらなければいけないことが沢山あったはずなのに、残ったのは寝不足とカフェイン中毒だけさ。もう小説も目に入らないよ。

沢山の話たちが、途切れてしまったな。いや、そもそも遇ってもいない。「シンクレール」の成長も、家出坊ちゃん坑夫の後のことも、そして世界に残っている涙ぐましい誰かのストーリーも、自分の手の温め鳥に負けて、勝手に終わってしまったって感じ。

12月、筋トレをまた頑張りたいと思って久しぶりにトレーニングアプリに入ったんだけど、アプリに入る前までは、それが自分を悲しませるとは想像もしていなかったよ。何が悲しいかって?今日の重さと、4月の重さが全然変わっていなかったんだ。ったく、、、脱皮に失敗したとかげってことさ。抜け殻のなかで腐っていくだけの、、、

でもこのまま死を待つわけにはいかないだろう?ーもちろん体だけのことじゃない。ー成長が止まるなんて動物として終わりなんだから。まだ12月も終わってないし。

矢上の顔たち

やっぱり勉強するには、矢上キャンパスのメディアセンターが最高だ。人が少なくて、静かで、皆頑張っている。僕もここで頑張ろう。

席で小説をちょっと読んで、トイレに行こうと地下から階段を上った。一段一段上って行くと、1階で勉強しているある学生が見えてきた。彼の顔が全部見えるようになった瞬間、僕はびくっとした。高校の友達が勉強しているのであった。彼は相変わらず細い目で、勉強に凝っていた。

高校の友達が、矢上のメディセンにいるはずがないということに気が付くと、彼の顔は一変してしまった。髪型も違うし、ガタイも違う。

彼は、僕に、怪しげな人を見るような目を向けてきたので、慌ててよけざるを得なかった。

トイレから自習室に戻ろうと、廊下を歩いていた時、またある人と目があった。本の一瞬だったのだが、彼は片手になんらかの食べ物を持って、それをくちゃくちゃ噛んでいるのが見えた。本当に「くちゃくちゃ」噛んでいた。まるで、紙切れになってしまった馬券を噛んでいるようであった。

彼は怒っていた。誇張はしない。彼の表情からは、僕が一番苦手な軽蔑が感じられるようであった。窓から、うるさい近所の人たちを、どうすればひどい目に合わせられるだろうかと考えながら見下すような目。どうして僕にそんな顔を見せてきただろうか。さっさと席に戻って考えてみた。

優しい人

朝から蓮太郎さんと買い出しに行った。東急スクエアに行って、ニョッキとチーズを買って帰った。帰り道で僕が

「柔道部の人に、妹を紹介するとしたら、誰には紹介できますか。」

と聞いた。

「○○くんかな。優しいし。」

「ええ、そうなんだ。僕はどうですか。優しいですか。」

「いや、違う。」

「えええ!僕って優しくないんだ。」

「いやっ、それも違うけど、なんて言うか、お前は俺らには優しいけど、どうでもいいやつにも優しいかって言われるとどう?」

僕はなぜかぎくりとした。自分の、全力で隠しておいた、一番恥ずかしいところを見つかってしまった感じがした。僕は皆に優しく対しているのか。

僕は昔から、絶対的英雄はあり得ないということを知っていた。誰かのために、誰かの幸せのためにやることには、また誰かの犠牲が必要になるものだ。皆が幸せになれるものであったのであれば、「最大多数の最大幸福」という言葉も存在しなかっただろう。だから、皆に優しい人になろうという希望は、無駄であり、むしろ自分が傷つくだけだと思っていた。なので、自分の中では、皆に優しくするなんて無理だし、自分の好きな人に全力で優しくするのが、人間としての最善ではないかと、それがある集団においての英雄なのではないかと結論を出していた。そのような態度で、なにも考えずに生きていたのだが、誰にも気づかれないだろうと思っていたところが、赤裸々に、丸見えになって、幕が上がっては、誰もいないだろうと思っていた観客席は大勢の人でつめられ、最後の審判のようなスポットライトが僕に当てられた。それは、太陽のあつい光線であり、人を狂わせる放射線だが、非常口の緑色の光でもあった。

矢上での僕の顔は?

彼はなんで僕に怒っていただろうか。

彼は僕に怒っていたはずがない。何も考えずに、飽きてしまった一人での夕ご飯――多分胸肉のようなもの――を食べていただけなのかもしれない。優しい人なのかもしれない。

しかし、彼は、僕にいろいろ考えさせた。誤解を招いた。僕は、そのような職務放棄を犯したくはないんだ。それが、今まで自分が考えていた理想の真の姿だったということが分かり、何人かの顔が頭の中に浮かび上がった。お前の優しさなんか、もともと要らなかったよ、と言われるとして、それは自分自身のための謝罪でもあった。歪んでしまった心は慈愛を害し、自分を駄目にしていた。

今年を漢字一字で表すと「省」。2025年には、一年遅れたとしても、「金」になればいいな。