~前回までのあらすじ~
魂の咆哮が炸裂し、遂に怠慢な麒麟をパソコンに向かわせることに成功した内田。しかし、麒麟からローマ字表記がおかしいと言われ、英語が出来ないことを密かに気にしていた内田は戦意喪失し廃人化する。しかし心のパートナー猪狩先輩の小さく更新を喜ぶ声に確かな光を見出し、今再び立ち上がろうとしていた。(おわり)
皆さんこんばんは。2年の内田です。ご無沙汰しております。
世間が柔道グランドスラムでさほど沸き上がらなかった今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
突然ですが要領がいい人って何にしても必ずいますよね。
僕は自分で要領がいいなと感じた瞬間がありません。柔道はもちろんのこと、副務の仕事においても足を引っ張りに引っ張り、勉強も中学時代わざと遠回りして解いてるだろと言われたことがあるくらいです。
まぁ中々自分で自分のことを要領がいいという人はいないと思いますが、例えば出来ない人の気持ちが分からない、なんてたまに感じている人は少なからずいるのではないでしょうか。
そう感じることが出来るのは自分の体に、脳に反応があった瞬間勝手に噛み砕いて解釈を終えてしまっているので、考えるまでもないことと思えているのではと考えています。
つまり言いたいこととしては考えすぎが要領の悪い奴を生み出しているのではないかと思ったのです。今日ついさっき。
考えるな、感じろとはよく言ったもので、開き直って自分の感覚のままにやってみると案外うまくいくものなのかもしれません。
仮に感覚が人とズレていたら指摘してもらって直してしまえばそれまでです。うじうじ考えるよりなんと簡単なことか。何事も手早く片付く感じがしますね。
でもやっぱり人に直されると、俺はこの人よりセンスがない、要領が悪いなあと思ってしまうのでしょう。そしてまた効率のいい方法をうじうじ考え込んで足が止まるのが僕という人間です。やはり要領が悪かったようです…
でも悪いことばかりではありません。回り道ばっかりしているということは失敗の数だけ人よりいろんなものを見て考えることがあるからです。ただ、人生には限りがあるので回り道ばかりで大事なことを為さないままおしまい、となると少し寂しいので、失敗から学び、肝心なところだけいいとこ取りできるようになるのが大切だと思います。
いいとこ取り出来る奴ってのは要領のいい奴、ということは僕は将来的に要領がよかった…のか?少なくともなる予定です。
とまあ試合が近づき、勝ちたいと思うと余計なことばかり考えてどうどう巡りをしてしまいがちで、こんな文になってしまいました。やはり要領が悪いということでお願いします。
それではこれ以上中身のない話はアレなので、この辺で。失礼いたします。
~番外編~要領のいい内田
僕の家のパソコンは、「し」と打つと「失礼致します。」、「へ」と打つと「平素より大変お世話になっております。慶應義塾體育會柔道部副務の内田です。」と出ます。要領がいいぞ。
まあ世間ではこれを「セコい」、と言うのでしょう。