こんばんは。
更新遅れてしまい、申し訳ありません。
高尾櫻子です。
最後の日誌、ということで何を書こうかとても悩みました。書いては下書きに入れ、また見直しては消しを繰り返すこと数日間。
日誌が、書けません。
でも、無理やり書きました。乱文失礼致します。
最初は、周囲の人々への感謝の旨を綴ろうと思って筆をとりました。
しかし、やはりまだ最後の闘いが終わっていないこの状態で、全てを振り返り感謝を述べるのは早い、そう考えました。
感謝は全てが終わった後、じっくり述べさせて頂きます。
私の柔道人生、自分が勝って喜んだ記憶は殆どない。
小学生の時まで遡ってみてもである。
16年間の中で、結局、私は何一つ結果を残すことが出来なかった。
そんな私に、私と同じ目線で見てくれた周りの人はいつも、でも結果だけじゃないよって、前回との進歩に目を向けてみようって、目標達成の為に歩んだプロセスが大事だよって励ましてくれた。
振り返れば、私は、そんな周囲の人々の言葉たちに甘えて来たのかもしれない。
昔から人一倍不器用で、センスゼロと言われ、リズム感も皆無で、動きが不自然だからあだ名はロボットちゃんで、高校の成績だって全教科の中で体育が一番悪くて、中高時代はみんなが試合の表彰式に出てる時にいつも荷物番をしていた。
みんなが一本取り(練習メニューの一つでどちらかが一本を取るまで終わらない)をしている中で弱すぎて競る相手がいない私は1人で二時間も三時間も道場の隅で声を出しながら突っ立っていたこともあった。みんなが全日本強化合宿に招集されている時は、強化選手でないもう1人の子と2人だけで何時間も練習をしたり、広いグラウンドで、2人だけで何本もダッシュを繰り返したりした。校内での表彰式では、みんなが壇上で表彰されている時、1人だけ唇を噛んで下を向いていた。そんな自分が酷く惨めだと感じたことは、昨日のことのようにはっきり覚えている。
このようなエピソードを挙げる始めるとキリがない。キリがないくらい私は、運動音痴で柔道に向いていない。
それなのに、人一倍出来損ないの私なのに、周囲の人々の優しい言葉に甘えて、死ぬ程の努力が出来なかったのは確かである。
中高時代の目標は明日を迎えること、そう思って日々過ごしていたけれど、振り返ればまだまだ出来た。大学時代なんて、初めての環境に戸惑い、周囲の華やかな女子大生に憧れてみたりと、本当に一切胸を張れたものではない。
中途半端、中途半端、中途半端で作られた私。
だから、チームのために、応援して頂いている全ての人々のため、自分の柔道人生を肯定するため、また、ずっと同じ目線で私を肯定しつづけてくれた大好きな人達への恩返しのためにも
最後の早慶戦、
最後試合、
勝たなければいけません。
プロセスなんて知りません。
勝たなければ。そう強く思います。