「他人には他人の幸せがある」
はい、よく聞く言葉ですね。他人には他人の幸せがある。ええ分かりますとも。でも私はついこの間までこの言葉の意味というものを自分のものに出来ていなかったように思います。
私は今まで本当〜に本当〜に柔道ばかりやってきました。私の周りもそんな感じで、実際、中学の同級生は皆んな帝京やら東海やらといった柔道強豪校に進学しました。そんな同級生たちを含めた多くの柔道家たちを見て私は「すごいな〜」と思うと同時に「でも柔道を辞めた後は何になるの?」と、よく嘲笑ったものでした。
「ああ柔道しか知らないんだ、へえ…」そんな感じで。
でも今考えると、かなり病的で短絡的な思考だったかなと思います。他人の幸せを自分の価値観の尺度で見下しているんですからね。その人にはその人にしか分からない、感じられない、絶対的な幸せがあるはずなのに…
自分の価値観の尺度を他人に対して当てはめようとする、これは一体どうして起こるのでしょうか。まあ、そこまで考えるとその人の育った家庭、その家庭を取り巻く環境、そういったものにも目を向けなければ…とか思ったりしてちょっと面倒くさいので割愛します。
「人にはそれぞれ自分の持ち場というものがあって、人はその持ち場で頑張れば良い」
とある小説家もそう言っていました。
と、まあ、急に伴ちゃんどうしたのって感じですね。今日、中学の同級生と久しぶりに再会したんですけど、そのときに話し合ったことの一部をちょろっと書いただけです。あまりに書く話題が無かったので…
おやすみなさ〜い。