「心技体」
幼い頃から柔道を続けてきた私は、もう10年以上この言葉のそばで生きてきたんだと、しみじみ感じる今日この頃です。小さい頃はこの言葉の意味なんてちっとも考えていないし、そもそも読めない。大きくなってからも、柔道において重要な心得でしょくらいにしか考えていませんでした。もちろん、柔道という競技以外にも通じる、真理を突いた金言であることも分かっていました。しかし、最近になって、この言葉はもっともっと広義なものなのではないかと思うようになったのです。
ただいま絶賛テスト期間中のため、私も一応、勉強やレポートに着手しております。しかし、高校時代のあの集中力は未だ戻らず、ついつい学習室の棚にある漫画に手が伸びてしまいがち。その時、たまたま手に取ったのが「リアル」という車椅子バスケの漫画でした。私はおもむろに適当な巻の、適当なページから読み始めました。事故で下半身不随になりふさぎ込んでいた少年が、アスリートとして本気で車椅子バスケに取り組む大人たちを見て、こんな自分でも生きることの喜びを感じられるかもしれないと感じだすのです。半身不随をキッカケに疎遠になった仲間に絶望し、「仲間」という言葉を信じられなくなっていた少年。しかし、車椅子バスケの社会人チームとの交流を経て、仲間が遠ざかっていったのではなく、自分が遠ざけていたのだと気づくのです。
ひょっとすると「心技体」という言葉は、人間が人間らしく生きるために、人が人として強くあるために私たちが心に刻むべき言葉なのではないでしょうか。私たちが本当に恐れるべきは、体を失うことでも、不器用なことでもなく、心を失うことなのではないでしょうか。人は心・技・体の順番に、砦を守っていかなければいけない。体がなくとも技で、技がなくとも心さえあれば、そう言っているように感じるのです。いざ、自分の心が砕けそうになる瞬間、ここまで強くあれるか私にも分かりません。でも、この心技体という言葉が、きっとこの先私の人生の支えになってくれる、そんな予感がするのです。いつも目の前にひっそりとたたずんでいただけの言葉が、こんなにも私の中で語りだす日が来るとは。もしかして、私の心が弱っているのでしょうか。笑
テスト期間なのにちゃんと部員日誌書きました。おかげでひとつくらい単位落とすかもね。お父さん、お母さんごめんなさい。
でも僕「心」だけは強いんで大丈夫です。
・・・・ぐはっ!