お久しぶりです。
三年の高尾です。
夏の一大行事である、暑中稽古も無事終わり、現在、七月末までの試験offに入っております。
六月末に行われた、全日本学生柔道大会では、沢山の先輩方が応援に駆けつけて下さいました。この場を借りて、お礼を述べさせて頂きます。ありがとうございました。
私は、メンバーの一人が怪我をしたので、急遽選手として、戦う事になりました。
慶應義塾大学という看板を背負っての初めての団体戦、そして、先輩方と戦う事の出来る最後の団体戦。そんな試合を、この全日本で経験させて頂いた事に、本当に本当に感謝しています。
それなのに、あのような試合をしてしまい、情けない気持ちでいっぱいです。
しかし、今回出場させて頂いたことによって、柔道における新たな課題はもちろんのこと、先輩方の温かい応援の心強さや、メンバーの先輩の人間としての強さ、器の大きさ、また、後輩の存在感、団体戦で戦う心持ち、多く気付きがありました。そして、私は本当に、環境や周りの人間に恵まれているのだと、改めて痛感しました。
これから、何事にも益々一生懸命にぶつかっていけたらと思います。
今回は、本当にありがとうございました。
では、本題へ。
最近、というか、少し前から気になっていたことについて、書かせて頂きたいと思います。
それは、”女子力”と柔道家という、相反する言葉の両立についてです。
相反する、というとしばしば語弊が生じるかもしれませんが、わたしは柔道をすることは、女を捨てる事であると考えています。
その要因の一つとして、私の中学校、高校の柔道部の掟の一つとして恋愛禁止、というものがありました。理由は、恋愛をすると女になってしまうから、と先生はおっしゃっていました。
また、日々のウエイトも、より肩幅を広く、足をササミもしくはカエルのように近づけるために行っているわけです。これは間違えなく、女子とは逆のベクトルへ向かう努力をしていると言えます。
私だって、本当はこれ以上上腕二頭筋、太くなんかなりたくないし、肩幅いじりなんかされたくない、オフショルダートップスや肩フリルトップス(今のわたしが着ると、北斗の拳みたいになります)を着て、太っちゃうーとか言いながら、フラペチーノ片手に颯爽と表参道を歩きたい。
しかし、それらを捨てる覚悟の上で、柔道という道を選びました。
その分、周りの女子大生が一生経験し得ないことを沢山経験させて頂いています。だから、後悔は全くしておりません。
私は、柔道をしていて良かったと心から思っています。
話しがそれましたが、それでは今度は女子力について考えて行きたいと思います。
近頃、SNSの投稿や雑誌など、メディアで頻出している女子力という言葉。
女子力とは一体何なのでしょうか。
Wikipedia先生によると
女子力(じょしりょく 英語: women’s power[1])とは、輝いた生き方をしている女子が持つ力であり、自らの生き方や自らの綺麗さやセンスの良さを目立たせて自身の存在を示す力[2]、男性からチヤホヤされる力[3]。
コラムニストの小田嶋隆は、女子力は、厄介な言葉で人によって定義が違うとしている。女性誌では単に「フェミニンな魅力」であるがニュアンスは、ハイファッション志向の高飛車な月刊誌では「モロにファッショナブル寄りな概念ないしは美意識」に近いものに、芸能ゴシップの追求を主務とする女性週刊誌では「男のコロがし方」を婉曲に表現しただけであると指摘している[4]。
だそうです。
男性からチヤホヤされる力…男のコロがし方を婉曲に表現しただけ…
わりと悪意ありますね、ウィキペディア先生。
上記のことから、一般的に、明確な定義がないことが分かります。
私は、お菓子や料理を作れること、整理整頓が出来る事や美意識が高い事、などが女子力高い、と評価を受ける基準の一つになっていると考えています。
しかし、どうでしょう。
肩幅がすごい女性がお菓子を作ったところで、整理整頓が出来たところで、それは果たして女子力と評価されるのでしょうか。
答えは、noだと思います。
普段、女子とは逆ベクトルに向かう努力をしている私たちが上記のような努力をしたところで、それはただ、柔道家がお菓子を作っている、という事実にしかなり得ません。もしくは、腕の筋肉を鍛える方法の一つでしょうか。
よっぽど細くて可愛らしい子でない限り、女子力と柔道家は並立しないものだと私は考えます。
何が言いたいかというと
じゅーだーがお菓子を作ったところで女子力向上とは言えない
ということです。
また、私は、メディアがこぞって“女子力”ばかりを押している近頃のこの風潮にも疑問を抱いています。
確かに、”女子力”も女として生きていく上では、多少必要な力であると思います。特に、結婚によって、男性以上に人生を大きく左右される女性にとっては、重要な能力かもしれません。しかし、その力は、それだけに自分を費やす程重いものではないと私は考えます。それよりも、もっと大事な能力(わたしは人間力と呼んでいますが)があると思います。
従って、私は”女子力”ばかりに気を取られることなく、周りの本当に大切なことを見失わずにいたいです。
長文、乱文失礼いたしました。