皆様ご無沙汰しております。部員日誌の締め切りをきちんと守ることで有名な私です。菅原です。本日は諸事情により沖縄からの部員日誌の更新になります。
部員日誌を更新できるのも、あと片手で数えられるくらいとなりました。案外読んでくれている人が多いようなので、では明日も早いのでこのへんで…と手は抜きたくないものです。
さて今日は何を書こうか。うーん、よし。では折角なので部員日誌のことについて書こうかなと思います。
部員日誌ってなんのためにあるの?
入ってきたばかりの一年生は、この部員日誌を訳もわからず漠然と更新をしているのかもしれません。実はこの部員日誌、我が慶應義塾体育会柔道部をもっと世間様に知ってもらおうと開設された、志高い広告塔なのです。
そんなん知っとるわボケ。と言われそうですが、本当に理解していますか?
あなたが投稿するボタンを押し、放り投げた原稿は、電子の海に瞬く間に広がり、端末を持つ人間なら誰でも閲覧可能な状態になるわけです。
内容のない自己満足のような事実を羅列しただけの残念な日記、こんにちはとさようならしか言えていないような小学生でも書けるようなオッパッピーな作文。胸に手をあて、今一度部員日誌がどうあるべきかを考えてみてください。あなたの部員日誌を見て高校生が入ってきたいと思いますか?OBOGが応援したいと思いますか?答えはNO!
現在部員日誌の大半は某SNSのような呟き、中身のない挨拶が大半です。
本当に残念です。
大変失礼しました。なぜこんなにも熱が入ってしまうかというと、実は他でもないこの私が、他の部員の日誌更新を楽しみにしているからなのです。
私は一日に一度、必ずこのホームページにアクセスします。必ずです。そして更新が遅れ変わらないページにため息を吐き、陳腐な作文に涙し、まれに更新される面白い日誌を半狂乱になりながら喜び何度も何度も読んでいます。
というのも、長く書いてくれれ書いてくれるほど、考えて書いてくれればくれるほど、その人の人格が浮かび上がり、その人との距離が縮まるような気がするからです。
これは私の持論ですが、親しみというものは相手を知ってこそ生まれるものであり、運動部に大切なチームワークを育むうえで必要不可欠なものだと思っています。偉そうに持論などと言いましたが、あたりまえのことですね。
正直なところ、寮にでも住んでいない限り、柔道部員に会うのは稽古の時だけです。(もちろ遊びにいったりご飯を食べたりしますが、全員ではありません)
稽古中にお喋りなんてしていたらアキちゃん(主将)に怒られるので、実際のところ話すのは練習前後の一時間弱だけです。加えて大所帯になった我が部で、全員とのコミュニケーションを図るのは無理があります。
つまり何が言いたいかと言うと、部活の中に表面上の付き合いしかない、「よくわからないやつ」が生じるのです。
大半の人間は未知を恐れます。こうした些細な不信感が募り、コミュニティが少しずつ崩壊していくことは歴史が証明しています。
そんな悲しい事態を解決し得るツールが、この部員日誌だと私は考えています。
普段言いにくいこと、自分が思っていること、どんなことでもいいのです。自分が投稿する文章に「想い」を乗せてほしいのです。
文章というものは不思議なもので、そのひとの人格を如実に投影します。些細な出来事について深く掘り下げて悩みぬく人、日常生活を感受性豊かに捉えるひと、どんなに下手糞な文章でも、一生懸命考えた軌跡は感じられますし、そういう人に私は親しみを覚えます。
読んでいる人もきっと楽しいです。話のタネにもなりますしね。
日頃のコミュニケーションの際に、自分が思っていることをまとめて相手に伝えきることは大変困難です。
事実、私がこうやって書いていることを、この日誌を読んでくださった方全員に話せと言われたら、大変な労力と時間を割くことになります。聞き手も然りです。
その点、文章なら書きながら修正ができますし、聞き手も気になったところを読み返すことができます。加えて便利な端末が普及した現代、いつでもどこでも読めます。
もしこの日誌を読んで、何か思う現役部員がいたら、短い文章でもいいので「想い」を乗せてください。読んでいる人はきっとそれを感じ取り、あなたに「親しみ」を感じます。
そしてこの部員日誌を読んでくださった現役部員以外の皆さん。どうか明日以降の部員日誌をよく読んでいてください。
きっと部員日誌を読んでいる人と読んでいない人、もっと言えば部員日誌の軽視、自己発信をしない怠け者がはっきりする筈です。
と、後続のハードルを上げて私はこの辺で失礼いたします。
明日以降の部員日誌がいろんな意味で楽しみです。ふっははは。
以上、下衆がわらでした。