部員日誌の更新のたびに風邪をひくというジンクスをまた更新してしまいました。今回は部員日誌の前に風邪を引いて回復したのですが、なんと今日また喉の調子が悪くなってしまいました。はなちゃんはテスト前のマネルームでのジンクスをKJMの魔法と呼んでいましたが、それに則り私は部員日誌の魔法(呪い)と名付けることにしましょう。

 

熱でボーッとする頭でひたすらYouTubeのショート動画を見ていたのですが、昔のサザエさんの動画が出てきました。なかなか過激な内容で現代で放送したら、虐待とかセクハラとかモラハラとか言われてしまいそうな内容でした。しかし、少々滑稽で面白い内容でしたし、当時の考え方や日本人のありのままの姿を見ているような気がして安心感がありました。コンプライアンスというものは人を傷つけない、自分を守るための大切な守りの手段だと思います。私もコンプライアンスに助けられ、傷つくことが少ない大学生活を送っているという自覚はあります。

一方でコンプライアンスというのは人の行動を制限していることも事実です。例えば、ある記事で見たのですが小学生の自由研究で「自由」とついているのにも関わらず、生き物をむやみやたらに殺してはいけない、人の嫌がることをしてはいけないなど最低限の当たり前のモラルを大前提として、さらにこれをしてはいけない、あれをしてはいけないという暗黙の決まり事があるそうです。過去の名を挙げてきた人々は何かを犠牲にして成果を挙げていることが多いのに、あれこれ規制をしては何かを研究すること、人とは違う自分だけの特別を見つけることはできるのでしょうか。私は、幼い頃から失敗と成功を繰り返して、挑戦や好奇心や探究心には責任が伴うということを学ぶべきだと思います。幼い頃に探究するワクワク感と失敗するリスク、また失敗しても何度でも挑戦できるという感情を学んでいないと、探究することに対して恐怖心を抱くあるい誰かがやるだろうと他人任せになって無関心になってしまい、思考が止まり夢や野望がない無気力な人間が完成します。実際自分もコロナパンデミックの際、無気力になりかけた時期もありましたし、友人を見ていても勉学に対しても就活に対しても向上心のない人が多いなと感じます。いつから無くしたのか、諦めざる得ない状況を環境が作り出したのか、あるいは昔から若者は無気力で歳を取ると興味や探究心が醸成されるのか、私にはわからないことだらけです。ですから今ここで解決策が思いつくわけでもないし、私の知識も語彙力も足りていない未熟な頭で解決策を述べることは無意味です。

ただ、私は自分に向上心がないと感じた時や向上心を無くしたくなるような環境にぶつかった時、高校時代に習った夏目漱石の「こころ」の「精神的に向上心のない者はばかだ」という文章を思い出すようにしています。ここまで築いてきた努力や成功した時の喜び、失敗した時の悲しみ、恥ずかしさ、不条理に対し我慢した経験、怒りの蓄積などの行動のために貯めてきたガソリンを「ばか」の一言に収めたくない気持ちが発生します。自分の向上心を信じて制限からちょこっと飛び出すのも悪いことではないはずです。

 

なんだか締まらない文章になってしまいましたがとりあえず風邪のせいにするとします(これも考えることを諦めた結果かもしれません笑)