ご無沙汰しております。アメリカでコリーと深夜に身ぐるみをはがされた情けない松永です。
まずは先日行われた海外遠征につきまして、現地で多大なご支援をいただきました森会長、笹野監督、日本から温かく送り出していただきました先輩方に心より御礼申し上げます。
今回の海外遠征は想像をはるかに超える感動にあふれており、この感動を次は自分が後輩たちに継承したいと強く思いました。
遠征の思い出を出国から書いていきたいところなのですが、部員日誌がサーバーダウンしそうなので特に思い出深かったことについて書きたいと思います。

まず、個人的に一番印象に残ったのはラスベガスで開催していただいた荻原先輩の講演でした。32歳からコンサルタントとして海外で働いていらっしゃる荻原先輩はユニークながらも、激動の時代を生きる我々に必要なスキルと心構えをご教授してくださいました。
その中でも特に、「英語・法務・会計・IT」を身に着けることが不可欠だということが心に刺さりました。
僕はずっと昔から自分から柔道がなくなったら何が残るんだろうかと考え続けてきました。

いざ社会に旅立つとなったとき、盛りに盛って抽象的にしか自分をアピールできず、社会で具体的に誰かの力になれるスキルがない自分に就職活動を通じて絶望しました。柔道をやってきたこの十数年、自他共栄の理、人との関わり方、挨拶の仕方、礼儀の重要性、他人を尊重する心、そして文字通り強さを理解したつもりでいました。

しかし柔道で学んだことは社会では直接的に役立つことはありません。ましてや自分が楽しいと思えて、なおかつ誇りを持てる職業がなかったことからも僕は半年前に法曹の道へ舵を切りました。
現在、半年間がむしゃらに突き進んできた甲斐あってか気がつけば一周目の学習が終わりそうです。しかしまだ時々、自分の進路に自信を持てなくなる時がありました。
そんな中で荻原先輩が法務を突き詰めることは必要だと断言してくださったことで、僕はこれでいいんだと確信できました。
僕が就職活動を通じて一番恐ろしかったことは周りに流され就職して、自己成長なくお金だけもらって「自分」がフィックスになることでした。先輩に相談してみてもそんなもんだと言われて、納得できずに體育會の強みを捨ててまで法曹の道を選択したわけですが荻原先輩の講演を通じて進路に自信を持てました。
また、荻原先輩は僕が抱えていた不安を適切に言語化してくださりました。「お金を稼ぐことが重要ではない」「就職を通じて自身の「善」を見つけること」「そしてそれを通じて自分の「チエ」を磨くこと」、これらが最重要だと仰っていました。
この「チエ」という言葉、単純に知識を指す「知恵」と別の「智慧」があります。後者の「智慧」、実は僕にとって馴染み深いもので、もともとは仏教用語です。幼少期に祖父母が教えてくれた言葉でありますが、「智慧」には「真理を見通す力」という意味があります。(余談ですが、僕特殊能力があって幼少期の記憶が消えない体質なんです)

僕にとっての「真理」は「お金に囚われず」、「自分の力で」、「人とのつながりを大切にして」、「手の届く範囲にいる人全員を守る」ことです。
この理想を見つめ続けて、現在の進路を選択したことを誇りに思います。
そして思えば両親はどちらも「先生」でした。
柔道を通じて僕に人間社会で好かれる人間であるための「いろは」と、男らしさ、人となりを教えてくれた文悟先生と、自由奔放に生きたいように生きる素晴らしさ、今の夢を追い求める原因となった松永先生。
改めて僕も素晴らしい二人の先生のハイブリッドの「蓮太郎先生」を目指したいと強く思いました。
総じて僕に自信を与えてくださった荻原先輩の講演はとても感動いたしました。この感動はグランドキャニオンにも劣らないものです。

これに関連して、最近のマイブームである慶應義塾大学理工学部創設者の藤原銀次郎氏著、「福澤諭吉人生の言葉」にて紹介されていた福澤先生の言葉を紹介いたします。

「棄つるは取るの法なり。浮世をかるくみて、浮世を棄つるは、すなわち、浮世を取るの根本なりと知るべし。内心の底に、これをかるくみるは、よく決断して、よく活発なるを得べし。」

これは「棄てることが何かを得ることには必要だせ。遊戯みたいな人生、何が欲しくて、何を棄てるべきか、決断することで有意義になるぜ!」みたいなニュアンスらしいです。
これに対して藤原銀次郎氏は、この意識を徹底した時、「自ずと「チエ」が生まれる」と書かれていました。
この「チエ」が敢えてカタカナであることの意味も今ならよく理解できます。
僕の決断、棄てるべきものを棄てて未来を選んだ決断に拍手を送りたいです。

まだ続きます。
続いて思い出深いのはラスベガスでの観光です。
眠らない街ラスベガスで一番命の灯火を燃やしたのはコリー、次いで僕ではないでしょうか。
欲望の街ラスベガスの策略にまんまと引っかかった僕たちは深夜、訳あって、なけなしの金すらもむしり取られてしまいました。
銃声と怒号、暴行が多発するアメリカの辺境にて二人で金欠故に1時間半かけてホテルまで徒歩で向かおうとした精神状況と財政状況はもはやお笑いです。彼と心神耗弱に陥ったあの夜を一生忘れないでしょう。

グランドキャニオン、ゴールデンゲートブリッジは言葉になりませんので割愛させていただきます。あの壮大さは忘れられるわけがありません。
ホテルのプールで同期で泳いだことも、その後に食べた日本円にして1000円のポテチも、酒も、朝食も、バスで移動していた時間も、飛行機も、何気ない時間すべてが心の奥底で宝物となっています。
本当に語り尽くせないのが悔しいです。

最後に改めまして、今回遠征に際して多大なご支援をしてくださった先輩方、本当にありがとうございました。
森会長もサンノゼでの柔道のご指導と美味しいお肉、誠にありがとうございました。
笹野監督、もう子供と言うには大きすぎる僕たちを、我が子を見るような目で見守ってくださり、どこまでも連れていってくださりありがとうございました。
また機会があれば、今回のような心踊る体験を、塾メンバーでできればと思います。

さて、「夢のおわり」。270
ここからはまた「蓮太郎先生」を目指して、智慧を磨く作業に没頭したいと思います。(まず手始めに懇願してきた成宮くんのためにS単位ゲットのお手伝いでもしてあげましょうかね)
今回遠征中に一つ、自身の宿命に決着はついたわけですが、むしろそれは通過点。
過去は遠ざかるもの。

磨いて凝らすは智慧の瞳。

常に浮浪者メンタルで邁進します。

次は、私だ。

そして来る決戦の時、余裕綽々な顔をして、頭にV字の耳をつけて、圧倒的破壊力のチャーミングな笑顔でこう言ってやるのさ。

 

いくぜ喝采!俺が来た!

 

 

ね、石村