今年も三分のニが終了してはや八月、友人たちはすでに春の先を見据えている中、自分はまだ海賊王を目指しています。先日会った父からの扱いは「息子」から「浮浪者」へ…ムキー!
ご無沙汰しております浮浪者松永蓮太郎です。

と、減らず口はこの辺にして。
実際減らず口を叩けるほどのバイタリティは残っておらず、焦燥に身を捩る日々が続いています。

先ほど述べた通り、残された大学生活は僅かです。本当に時は一瞬で過ぎ去っていくことを実感するこの頃、歳をとるごとに体感速度は早くなるというジャネーの法則を実感します。

友人たちは来る新生活に心を躍らせているのかもしれませんが、僕は時間の経過がただただ怖いです。
調べてみたところ、この時間の経過に恐怖心を感じる恐怖症を「クロノフォビア」というらしいです。
どうやらコロナ期間にクロノフォビアを発症した人も多くいるそうで、誰しもが時間の流れを意識した途端に恐怖を抱くというあたり、人間は常に時間の流れから目を背けている生き物なのかもと考えます。
そういえば同期の野上も半年前は飲み会をするたびに虚無感と焦燥に駆られていたという話を聞きましたし、思えばこれまでの柔道人生で同じような感覚にたびたび襲われてきました。試合目前のあの感覚です。
もっと時間が欲しい、まだまだ勝利を確信するには足りないと感じるあの感じ。
先日行われた柔道パリオリンピック、永山選手や村尾選手が疑惑の判定でまさかの敗北を喫したように、柔道人は試合場では常に一人で、一瞬で勝敗が決する状況の中戦っています。
そんな競技性故に柔道人にはクロノフォビアとも見て取れるようなストイックな選手は多く存在します。
古賀俊彦先生しかり、曽根輝選手しかり、ボクシングではメイウェザー選手しかり、休んでいる時間も惜しいと感じてしまうこの性格はどのような印象を与えるでしょうか。
昔の僕はかわいそうだと思っていました。
日常の中、気を抜ける時間がないというのはとんでもない苦痛です。常に自分の栄光を脅かす存在を意識し、日常に戦闘意識が刷り込まれていることが修羅の道だということは想像に易いです。
しかし現在、それは一種の才能だと考えるようになりました。
人間が人間である根拠は知性があること、事前に恐怖を感じ対処することが武器だとどこかの誰かが言っていた気がします。
時間の流れが怖いなら周りの奴が6時間やるところを自分だけは10時間、それだけで1.7倍近くの効果が出るし、10日で17倍他の誰かを引き離すことができます。
これを無意識にできるのは物凄い才能ではないでしょうか。

少し話は少し飛びますが、先日、ご存じビリギャルモデルのさやかさんの著書を拝見しました。曰く地頭というのは六つあるらしいです。そしてその地頭のうちの一つが、とある経験を他の経験に活かすことのできる能力だそうです。

柔道家は辛い道を志して、努力という名の成功のための共通項を万物に当てはめることができる地頭が育っていると解釈します。
このトピックについて考えた時、最近僕自身が柔道を通じて会得した「正しい努力の仕方」と「センスの磨き方」を実感することがありました。
この二、三ヶ月でタイピングが物凄く上達したことです。以前はキーボードを見ながら人差し指でポチポチとタイピングをしていたのですが、訳あって隙間時間に二、三ヶ月タイピングの練習をし続けたことで、頭に浮かんだ言葉をノータイムで打ち込むことができる能力が身につきました。同じルーティンを繰り返すことで無意識に能力が身につくことを脳の可塑性というらしいです。(柔道における日々の打ち込み、乱取り、投げ込みで動きを体に染み込ませるというのを説明すると、この脳の可塑性ということになるのでしょう)

また、同著で人間の幸福感についても書かれていました。曰く、人間の感じる幸福には「ヘドニック・ウェルビーイング」なるものと「ユーダイモニック・ウェルビーイング」なるものがあるそうです。
前者は短期的な幸福、例えば物欲を満たしたり、睡眠欲を満たしたり、食欲を満たしたりといったもので、後者が長期的な幸福、例えば努力の末に目標を達成して自己成長を実感する幸せらしいです。

これを知った時に自分の目指す先が何なのかクリアになった気がしました。これまで20余年、全国の表彰台に乗ったこと、テストで学年一位をとったこと、慶應高校に受かったこと、悲願の全日本学生出場を果たしたこと、自身の人生にはユーダイモニック・ウェルビーイングが溢れていました。
そしてこれからの人生も大会で結果を残すのと似たような、努力の果てに身に余る達成感を感じる偉業を成し遂げ続けることが自分の本当にやりたいことだと気づきました。
そのためには現在の時間の流れを怖いと感じるクロノフォビアはこの上ないアドバンテージになります。

でも焦りに囚われたら色々空回りしちゃうこともあります。事実ここ半年は振り返ってみても空回りし過ぎて散々な目に遭っています。
時間に敏感に、それでいてどっしり構えることの重要性を教えてくれた人物がいます。柔道部では野上、入道が大きく心の支えになっています。
僕の知る限り野上はクロノフォビアの才能に恵まれています。万物に恐怖することができ、姑息と言われるまでに執拗に物事に対処できる人間らしい才能の持ち主。僕もそんな姑息と呼ばれるまでの用意周到さを身につけたいです。
そして入道は少々阿⚪︎呆よりながらも自己分析に長けており人生の大局を誰よりも見据えている人物だと最近実感しています。
彼にとって留年はすでに夢の実現のための運命に昇華しており、ダメダメながらも日々ヘラヘラ過ごせる程度に笑い話に変化しています。
最近そんな入道におすすめされた二曲もまた、なかなか刺さってびっくりしました。
まずはguca owleの「difficult 」。
「簡単なら他の誰かでもいいじゃん」や、「5年、10年、15、20年、先の俺に笑われちゃ0点」と入道に似合わない反骨心溢れる歌詞に少なからず心動かされました。
そしてSUPER BEAVERの「正攻法」。
「正直者はいつだって馬鹿のその先を見ている」という歌詞が泥臭い日々の応援歌として優秀すぎます。
入道は決してデキる人間ではありません。練習では度々遅刻するし、帝京大学の練習試合では僕の応援と十秒の瞬殺劇が相まってコメディ柔道と呼ばれるくらいには弱いです。
でも凡骨にも凡骨の意地があること、だれにでも人間らしい野心があることを教えてくれました。

石村が部員日誌で言及していた「僕のヒーローアカデミア」という漫画の中で「神が地に伏せ人のか弱き心を得たのならば…」というセリフがあります。ただ強いだけの下品な柔道家は嫌いですし、その強さはむしろ空虚な人生をもたらすと考えています。
僕は絶対に清廉な柔道家でいたいし、その意識はこれからも変えず、「か弱き心」を知る人間、人の苦しみに対して精一杯共感ができる人間になりたいです。だからこそ今の苦しみにも成長を与えてくれていることへの感謝が必要でしょう。
そして平成の名作「暗殺教室」という漫画にはこのようなセリフがあります。
「敵に対し敬意を持って警戒出来る人。戦場ではそういう人を…「隙が無い」と言うのです。」
時間に恐怖する感覚が夢の果てに消え去った時、その時は想像もできないくらい強く優しく、隙のない人間になれることを信じています。
そのためには日々謙虚に地道に、大局を意識した努力を絶えず続けることが必要です。そして決めました。
UVER worldの「0 choir」の歌詞のとおり「毎年やりきり年末は幸せで泣くって」ことを。

最後、最近一日一回は聞いている「ワンピース」のジンベエのセリフを紹介します。

「もう何も見えんのかお前には!!!どんな壁も越えられると思うておった”自信”!!疑うこともなかった己の”強さ”!!!それらを無情に打ち砕く手も足も出ぬ敵の数々…!!!この海での道標じゃった”兄”!!無くした物は多かろう世界という巨大な壁を前に次々と目の前を覆われておる!!!それでは一向に前は見えん!!後悔と自責の闇に飲み込まれておる!!
今は辛かろうがルフィ…!!それらを押し殺せ!!!失った物ばかり数えるな!!!無い物は無い!!!確認せい!!お前にまだ残っておるものは何じゃ!!!」

敗戦に続く敗戦、プライドも仲間も兄も失った状況で喪失の本質を問うジンベエの優しさが胸に刺さります。
結局ここで旅に一区切りをつけて二年の下積みを選んだルフィの決断も今の僕に勇気を与えてくれますし、二年後の成長ぶりも希望に満ち溢れています。

今は辛くても本当に一瞬で一年の三分の二が過ぎました。
そういえばチェンソーマンアニメ化がもう二年前、呪術廻戦のアニメ化からももう一年が経過しています。
そんなたった一瞬に感じる期間の努力を続けた先で自分がどれほどの高みに登れるのか、怖くもあり、楽しみでもあります。
今はただやるべきことを淡々と、そしてどんな逆境でも、泥に塗れても、濁った水の中から清らかで美しい真っ白な蓮を咲かせるために…無責任ヒーロー参ります。