大変ご無沙汰しておりました。松永蓮太郎です。春の日差しも感じるようになり覚悟の年がやってきました。

この頃、人生の大きな分岐点に立たされていることを実感します。誰もがこれから先の将来に不安を抱く中、私自身もどうしようもない不安感で夜も眠れない日が続いています。

自分は幸せな将来を実現できるのか、この一年で柔道人生は悔いなく終われるのか、その後も自分のアイデンティティを見失うことなく生きていけるのか。この問題を見つめる機会が多くなった結果、これまで誇りを持っていた完璧主義の自分に苦しまされることになり、ずっと言われ続けてきた「あの時勉強しとけば良かった」という後悔にも苛まれています。最も、将来と自分のやりたいことから目を背けてきたツケが回ってきたに過ぎないのだと思いますが。遅かれ早かれ私はこの苦悩に苦しめられることになっていたのだと思います。

おそらく私は「普通」ではありません。人と違うことでしか自身の存在意義を認識することはできず、誰かに合わせること、媚びることがこの上なく不得意です。いつでも圧倒的で規格外な人間を目指してしまいます。その人間性が災いして結果、この半年は本来の自分を見失い、多くの応援してくれている人を失望させたかと思います。

振り返ってみると本当に死んだまま生きていたかのように思えます。自分の判断を他人に任せ、責任はいつも誰かのせい、他人に好かれ頼りにされる努力を怠りやるべきことも見失っていました。そんな私は恥ずかしいくらいに格好悪かったと反省しています。

完璧主義、規格外と宣いながら醜態を晒してきた自分に嫌気が差します。

いっそどん底まで落ち込んでやろうかとも考えましたが、そんな中救ってくれたのはまたしても仲間の存在でした。

ここから前を向くことが人間として成長するターニングポイントだと言ってくれた者、どこまでも私の状況を理解してくれようと寄り添ってくれた者、頼りない私が格好良くないと喝を入れ、お前と落ちぶれるつもりはないと突き放してくれた者、そんな支えがあるのはこれまでの松永蓮太郎の生き様が格好良かったからだと言ってくれた者。こんな逆境だからこそ本当にいつも誰かに助けられているなとまたしても痛感しました。

そんな気持ちで臨んだ久々の稽古は誇張なしで半年ぶりに目が覚めたかのように爽快でした。

いつも誰かが信念を持つ私に期待してくれていること、愛してくれていること、応援してくれていること、一緒に成長してくれること、焦りの中で自分らしさが見えた気がしました。

今はそんな人たちの見ていた松永蓮太郎がようやく見えてきた気がします。もう迷うことはないと断言します。いつでも信念を持っていた私は格好いい。堂々と我が道を進みたいと決意を固めました。きっとその先にしか幸せはない気がします。

やっと自分らしさを取り戻せた今、柔道家松永蓮太郎史上最高の盛り上がりが期待される今、死地でニヤニヤ笑って有終の美を飾りたいと思います。