こんばんは。薬学部1年の海部花です。

 

部員の皆さんがようやく六徳舎などなどに帰ってくる日ということで、自身は自宅住みなのになんだかしっくりくるような本日です。

美味しいもの食べてゆっくり休んでくださいね。

 

さて先日、偉大な世界的指揮者である小澤征爾さんが亡くなられました。とてもショックな出来事、いつかはと恐れていた出来事でした。

私は小澤征爾さんをこよなく愛しています。
かれこれ10年になるでしょうか。
どれくらい好きかというと、16歳の誕生日プレゼントは彼の写真集、今でもそれを寝る前にパラパラ眺めるのが至福だという具合です。

彼の音楽は、とにかく美しいのです。
何が美しいのか、それを言語化しようと試みるたびに心が昂って涙が出てきてしまうくらい、とにかく美しいです。

緻密で、スマートで、奥ゆかしくて、壮大で、深くて、美しく整っていて、それでいてとても自由な音楽です。自由ゆえにスケールが桁違いに大きくて、震えます。
初めて彼の指揮する映像を見た時の鳥肌、感動、衝撃は忘れられません。一生モノです。

とにかく、本当に素敵なんです。

小澤征爾さんの名言にこんなのがあります。
「大事なものとか美しいもの、美しいと言ってもただ見て美しいのではなくて、心に染みわたる美しさとか、心を打たれる美しさというのは、少し悲しみの味がするんだよ」

小澤征爾さんは「悲しみ」について、音楽の場合は、その度合いの幅が言葉で言うよりずっと広い、とおっしゃっています。一口に悲しさといえど、寂しさなのか、もはや外には出ない悲しみなのか、など、種類や個人差がある。それを汲み取って表現するとき、演奏家はどのくらい悲しくやって良いか判断しなくちゃいけない。
なるほど、とても大切なことのようです。

私は音楽をするとき、もう会えなくなってしまった人たちに音楽の中で会える感じがして幸せだなとよく思います。
そこで覚える一種の悲しさというのも、例えばそれは寂しさなのか懐かしさなのか、など、その幅をどの程度音楽に投影するか考えなくてはなと思ったのをよく覚えています。

その点においても、彼の音楽は真摯で、そしていつだってとても優しい響きがあります。

私はずっと小澤征爾さんの音楽の中で生かされてきました。
永遠のヒーローで、憧れで、いつか少しでも彼の音楽と共鳴したいという一心です。
この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします。

 

最後になりますが、私は、皆それぞれが大切にしてきたものは絶対に消えないと思います。いろんな形があり、叶わない部分もあり、悔しさがあっても、たとえどんなことがあっても、頑張ってきたことや大切に懸けてきたものは生涯残るんではないかと思います。
いつかの日にたとえ離れていってしまったように見えても、時間をかけて、いずれ必ず還ってくると知りました。
小澤征爾さんや、そして部員の皆さんから学んだことです。

皆さんいつも応援しています。