ご無沙汰しております、総合2年の島田です。

先日行われた早慶戦では、日頃から支えて下さっている先輩の方々や先生方、そして何と言っても引退される4年生の期待を裏切る、情けない試合をしてしまい、申し訳ございませんでした。

試合当日のコンディションは、かつてないほど良い状態でした。事前の打ち込みや乱取りで動作を確認し、相手方の先鋒である南出選手に立ち向かう準備はできていたと思います。

いざ本番、組み手で負けないよう、そして僕の悪い癖である片襟にならないよう、対策してきたことを実践するはずでした。しかし、あっという間に背負い投げで一本負けを喫しました。

脳「え、これでおわり?え、、、」

体「よし、いくぞ!!」

と、頭が真っ白になりました。「やってしまった」という罪悪感、「負けた」という悔しさと恥ずかしさ、周りの落胆した様子、準備万端だったはず、強くなっていたはずの自分の無力感、全てが一気におし寄せ、逃げ出したくなりました。空虚感で一杯でした。

試合後、負けた理由を考え続けました。勝つために約2か月近く気持ちを込めていたわけですから、その過程で何が足りていなかったのか、考えました。

自己満足で終わっていた。

これが結論として浮かびました。組み手にしろ、得意技の内股にしろ、全て「これでいいか」という段階で満足し、あとは単純に反復しているだけでした。

と、こんな風に精神論で片付けているからいつまでたっても勝てないのでしょうか。

改善すべき点は柔道以外にも転がっています。早寝早起き、課題を全て期限内に出し切る、ベットメイクは毎日必ずする、どれも自分で決めたルールでしたが、試合までの期間で全て完遂できたと胸を張れません。

変えるべきは精神よりも、精神が伴う以前の自分の行動なのかもしれません。

ということで、今月末の埼玉県大会に向け、自分の掲げたルールを無心で守り続ける、ということを継続しようと思います。

僕が最近愛読しているセネカの「生の短さについて」(岩波文庫)にこのようなことが書かれています。

「しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟、われわれは必然性に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。」

僕が思うに、セネカは、「今、ここに集中せよ」と言っているのでしょう。時間はすべての人間に平等に流れ、それは僕にも大野将平選手にも等しく流れているわけです。しかし、こと柔道の実力において、恐竜とアリの如き差が生じるのは、大野選手が柔道の「今」を僕よりも積み上げてきているからなのであります。物事は結果ではなく、その過程、つまりどのような時間の質が投じられているかなのでしょう。

本日、朝飛先生に有難いご指導を沢山頂きました。勿論、肉体的にはキツいですが、頂いた言葉の本質は上記同様、一つ一つの所作を大切にする、ということでした。

早慶戦での負けからまた一つ成長できたと思います。

引き続きご指導ご鞭撻の程何卒宜しくお願い致します。

島田智宏