こんにちは。薬学部一年の海部花です。
今年も残すところ一ヶ月弱となりました。
私は冬の匂いが何物にも代え難いくらいとても好きなのですが、流行りの風邪によって呼吸しにくいくらいの鼻詰まりと咳に見舞われ、嗅覚を失っております。
風邪ひいているみなさん、早く治りますように。
さて、今年はさまざまな貴重な機会に恵まれ、たくさんのことを学ぶことができた一年でした。その中でもやはり特筆して、柔道部入部が私を良い方向へ大きく変えてくれたように思います。
自分はあまり自身のことを話さない方でしたが、柔道部の同期や先輩と話をする中で、自分の考えを共有する勇気のようなものを持てるようになりました。
今回の日誌では、私自身のことを少し書こうと思います。
柔道に打ち込む部員たちを見ているとき、これまで自身が主軸にして頑張ってきた音楽のことをよく思い出します。
幼少の頃はただひたすら楽しいという理由だけでピアノを弾く毎日で、母曰く、「コンクールとか出たい?」と尋ねられた花は「みんなと遊ぶ時間が減るからコンクールは嫌!」と答えたそうです。そんな私が一転、母に「コンクールに出てみたい」と言ったのは中学3年生のときでした。中学2年生で合唱コンクールの伴奏をして以来、もっと多くの人に花のピアノを聴いてもらいたいと思うようになったのをきっかけに、遊びの練習からストイックな練習へと移行しました。
そして初めてのコンクールは、母と犬とこたつでゴロゴロしながら、名前がかっこいいという理由だけで選んだアジア国際コンクール、さまざまな幸運が重なって私は3位に入賞し、さらに審査員の教授に「僕のところへおいで」と誘われて、中学卒業後にウィーン国立音楽大学に留学する運びになっていました。
しかし丁度コロナ禍がはじまり、オーストリア政府の日本人入国禁止宣言を皮切りに、この話は先の見えない延期となります。
しかし、実はウィーン行きが決まった頃から私に生まれて初めてのスランプがやってきていました。一生懸命弾いても気持ちの悪い変な音しか出なくなり、カバーしようと練習量を増やして腱鞘炎になり、思うように弾けなくなっていました。
そこにウィーン行き中止の知らせが入り、大きなショックや悔しさと、それに相反して、シビアな練習やスランプなど苦しいことからもう解放される、もう頑張らなくて良いんだと少しホッとするような気持ちすらあり、しばらくピアノを弾かなくなってしまいました。
1日練習をサボれば3日分衰退するという世界、しかし私はまともにピアノを弾くことなく高校を卒業しました。
大学に入学すると、高校の友人がバンドを始めるなどして、ありがたいことに伴奏の依頼をたくさんもらうようになりました。
そうして少しずつピアノとの接点が増えていく中で、夏、中高来の部活仲間が、ついにクラシックの超難曲の伴奏をしてくれと持ちかけてきました。最初は今の自分にとても弾ける曲じゃないと断ろうと思ったけれど、もう一度ピアノと向き合う最後のチャンスだと思って引き受けました。
でもやはり3年間の空白は大きくて、練習すればするほど回らなくなった指や鈍った感覚に戸惑っていました。
そんな時に柔道部に入部して、自分の価値観が大きく好転しました。(何度でも言います、陸斗入部のきっかけをありがとう。笑)
みんながすごく楽しそうな表情で乱取りをしている様子を撮影するのが楽しくて、気がつくと私はいつも嬉しい気持ちになっていました。好きなことに一生懸命取り組む柔道部員の姿に私は感銘を受けて、あれ、自分は音楽が好きでピアノを弾いていたのに、どうしてあんなに苦しかったんだろうと思い直しました。その部活後に弾いたピアノは久々にとても良い音を出してくれました。なんだか懐かしくて本当に幸せな感覚でした。
みなさんのおかげで、大切な何かを思い出せた気がしています。
皆さんが頑張っている姿はいつもかっこよくて、日々感謝の気持ちでいっぱいです。
柔道部は私にとって楽しくて幸せが詰まった場所であり、大好きな皆さんが集まってる大切な場所でもあります。
今後もより一層、部員の皆さんが柔道に集中できるよう努力して、恩返しできたらと思います。
未熟なマネージャーですが、今後とも宜しくお願い致します。
纏まりのない拙い文章になってしまいましたが、ご精読ありがとうございました。
おわり