こんにちは。11月1日に、2日まで部員日誌を書けと言われて、困っている石畠です。本日は、社会を生きるうえで大切になるであろう、人間関係について自分の考えを綴っていきたいと思います。しかし、如何せん私は極端な考えを持っている人間だと思うので、この文章を読んでおかしいなと思ったことがあったら、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。

世界には約80億人の人間がいて、それぞれが違う人間であり、違う考えのもと、違う行動を取っています。顔が違ければ、使う言語も違い、様々な人間がいますが、その人間一人一人が尊重されるべきで、如何なる人間の人権及び個性が侵害されるのは絶対に駄目なことだと考えています。それを前提とした上で、私の言動の掟として一番根幹にあるものは、必要以上に広く関わりを持たないということです。

慶應大学という組織、理工学部という組織、柔道部という組織、……。生きている以上、様々な組織に所属していて、その組織ごとにいろんな人間が属していて、その中で他人との人間関係や自分の立ち位置というものが確立されています。また、偶然の巡り合いや出会いなどによって、これまで全く関わりのなかった人間とも、新しい人間関係が築かれていきます。人間は一人では生きていけないので、家族、親友、恋人、知り合い、師弟関係、先輩後輩などたくさんの関わりをつくり、組織を形成して生きる生き物なのです。

ここまでの文章を読むと、たくさんの組織に所属して、たくさんの人間と関わりをもちながら、孤独を避けて生きていったほうがいいという風に思われるかと思います。実際、幼い頃の自分はこのように考えていて、誰とでも話したい、秘密ごとは共有したい(というか、教えてもらいたい)、他人に興味ありまくり少年でした。しかし、中学時代に先輩にいじめを受けた結果、人間不信に陥り、他人はおろか自分すら信用できなくなりました。 (その後、高校に進学して優しい先輩に恵まれて人間不信はかなり解決しましたが、他人に対して興味を持たなくなっていました。それと、陰険な人間を見分けるセンサーも身につきました。)

この経験から、自分が言動をとるときには、相手の気持ちを考えることが大切だと気づきました。嫌なことをたくさんされすぎて、自分がこんなことをされたら嫌なんだということを知り尽くしたので、それを反面教師として、相手がされて嫌だろうと感じるようなことはしないようにしています。人権及び個性を侵害してはいけないというのはもちろんのこと、相手の思いを汲み取ってあげて、時には話を聞いてあげたり、アドバイスをしたり、逆に一切関わらないというのもしてあげるべきだと思います。最近、いろいろなハラスメントが広がっていますが、ハラスメントやいじめはやっている側が想定しているよりもされている側は嫌な思いをすることを知っているので、「昔はこうだった」と言うのはやめて、被害者の気持ちに寄り添ってあげることが大事だと思います。

それに加えて、社会にはいろいろな人がいるということを知りました。一緒にいて楽しい人や自分(または相手)にとって利益のある人もいれば、そうでない人(真逆の効果を与える人)もいます。小学生までの自分は、たまたま前者とばかり関係性を持てた、幸運だったのだなと最近は思うようにしています。 (他人に対して興味を持たなくなったのも、大人になってしまったといえばそれで済む話ですが、自分は自分、他人は他人と一つ区切りをつけることができるようになったからかなと考えています。)

私は、正直で感情が表に出やすいタイプなので、八方美人を演じようとして苦労するのは自分ですし、幅広く関係を築いても、またいつか痛い目に遭うだろうと考えると、人間関係を必要以上に築く必要はないだろうと考えるようになりました。また、中途半端な関係性の人と話をしていてリークされるくらいなら、信用している人としか話さない方が絶対に良いと考えるようになりました。ただし、信用できる人などそう簡単にできることはないので、基本、初対面を想定して相手と一歩距離を置いて接することを心がけています。それが、一部(多く)の人からしては、愛想がないとかあいつは何を考えて行動しているのか分からないと思われがちだと思いますが、私の行動にはこのようなポリシーが関わっています。

長くなりましたが、これで本日の日誌?を締めたいと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。

終わり