ご無沙汰しております3年の細谷です。本日も日誌を書いていきたいと思います。

現在尼崎に向かっている電車でございます。ベスト8に到達することができるように全力を出します。

今回の日誌では時間に関して書いていきたいと思います。最近読んだ本が面白かったので自分の経験談と交えて書きたいと思います。

最近振り返ってみると感動することが無いと感じます。ずっと行きたかったところに行っても、ずっと見たかったものを見ても、心が動かされる事が子供時代と比較して少なくなっています。このような経験をした人もいるのではないでしょうか。その要因としてスマホ社会の弊害だと考えるかもしれませんが、時間の捉え方が関係していると筆者は述べていました。

別の例を挙げます。私たちは中学校、高校、大学と経てきましたが、中学だったら高校のための勉強、高校だったら大学の為の勉強、大学だったら将来のための活動という観点で常に将来の為に時間を使っていたという印象があります。振り返ってみると私もその時々で努力を積み重ねてきましたが、それは常に先を見据えたためのものであってその時間自体を楽しんでいたかと尋ねられるとそうではなかったと思います。

2つ目の観点から見るとその時々で時間をモノと捉えて最大限利用しようとしています。1つ目の観点も同様です。数ある選択肢の中から選択された自分の好きな事を最大限活用しようとするように無意識下で時間をモノとして捉えています。私たちは自然と時間をモノとして捉える傾向にあるようです。

生産性という言葉をよく耳にしますが、人々はその生産性を上げることに躍起になっている印象があります。なぜ生産性を上げるのでしょうか。生産性を上げることで自分の時間を得るためでしょうか。タスクはいったん終わったら終わりではなく、更にタスクが追加されます。タスク処理に躍起になっていると追加される永遠に途切れることのないタスクによって一生タスク処理に忙殺されて自分は不幸だと感じて終わってしまうという不安があります。一生懸命作ってできたその自分の時間も上記のように時間をモノと捉えると楽しむことができないのではないと考えるとこれでは自分の人生を考えた時に余りにももったいないと感じます。

「自分は今ここにいるという事実に気づくこと。」このジレンマを覆すために、今を生きるために最も必要な事だと筆者は述べています。「今忙しいからこの人に相手をしている暇はない」。その選択をすることでどう自分は幸せになるのか。僕はこの問題に答えることができません。もっと今を生きようと考えるのではなく、自分が今に含まれているという本質的な事実に気づくことが大事ということらしいです。

というような時間の考え方を変えていこうという内容です。時間を最大限活用するではなく時間に気づくという点が個人的にははっとさせられた部分でした。

隣の都倉の肩幅圧が凄いですが、試合頑張ります!

 

おわり