こんにちは、成宮陸雄です。4日に沖縄県が平年より1週間ほど早く梅雨入りしたそうです。関東でも雨が夕方から降り出すような嫌な天気が続いていますが、この雨のおかげで六徳舎の裏庭のカボチャの苗はスクスクと育っております。
・・・はい、そうなんです。今六徳舎の裏庭にはカボチャの苗が2本植わっているのです。この苗はご近所の方から譲り受けたもので、来週には植えてから1ヶ月が経ちます。そういうわけで今回は、このカボチャの苗を植えるまでについて書かせていただきます。
いつものように寮に帰ろうとしていると、寮のご近所の方の家の玄関先に「ご自由にお持ちください」という札と一緒にカボチャの苗が2つ置いてありました。ちょうどその頃私は野菜の再生栽培の動画をYouTubeで目にして、何か野菜でも育ててみたいと思っていたので、これも何かの縁と思い、苗をいただくことにしました。家の方に伺ったところ、植木鉢やプランターではなく畑で育てなければいけない品種だそうで、持て余していたところだったようです。そこで寮の裏庭に畑を作ることにして、ホームセンターでシャベルを買い同期のコリーと共に作業を始めたのですが、大変な重労働となりました。まず自生している大量のフキを薙ぎ払い、土を50cmほど掘り返そうとしたのですが、フキの地下茎や近くのモミジの木の根がびっしりと張り巡らされており、なかなか掘り進めることができません。土を掘っていると、中からさまざまな生き物が出てきます。たった2本の苗を植えるために、小さなムカデやイモムシ、セミの幼虫やアリの巣などを掘り返し、彼らの住処を奪うことになりました。私たちの足元にはたくさんの小さな命が生きており、我々の生活がそれらの犠牲の上に成り立っていることを実感しました。それでもシャベルを斧のように振るい、根を切断しながら掘り返した土から根や葉の破片、小石などを取り除き、1畳にも満たない面積の畑を作るのに2日を費やしました。
こうして植えられたカボチャですが、痩せた土地でもほとんど手間をかけずに成長し半年ほどで実をつける、非常に強靭な植物です。戦時中は食糧不足に喘ぐ日本の人々を、ジャガイモやサツマイモと共に支えた救荒作物でもあります。私が興味本位で植えたカボチャは、かつて人々が生きるために植えられていたのです。その過程では今回私がしたように土が耕やされ、多くの小さな命が犠牲になっていたのでしょう。「生きる」とは、他の命を糧にして、自分が命を繋ぐことなのです。食べ物が溢れる今の日本でも、その根幹が変わることはありません。日頃何気なく言っている「いただきます」という言葉の重みを実感しました。
今回はこれにて失礼いたします。