皆さんこんにちは、重度の猫アレルギーにも関わらず猫のいる家に引っ越してしまい、毎日くしゃみが止まらない環境3年の陶です。最近は日本のニュースに目を通す暇がなく世事に疎いですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?世界規模では、波乱尽くしの北京オリンピックに緊張が高まるウクライナ情勢など非常に盛り沢山な今日この頃ですね。

私はというと、インターン先がなかなか決まらず憂鬱な日々を過ごしているのに加えて、この数週間でスノーボードは壊れ、自転車のサドルは盗まれ、挙げ句の果てにダンベルを小指に落として悶え苦しむというフルコンボを叩き出しました。

今年は厄年でしょうか、

 

さて、前回の日誌から約1ヶ月、先ほどもさらりと触れたインターン先を探すという一大イベントに全集中のためこれといった話題がありませんが、今回も例によって書きながら考えていきましょう。現在のように1ヶ月間隔で日誌などを書く機会があると、日々の激流に忙殺されてしまう小さな幸せも忘れ去ることなく書き残すことができますね。部員日誌万歳。

 

そのように考えてみると、厄年並みの難が溢れ来るこの数週間の中でも、もはや当たり前になった幸せがぽつりぽつりと見えてきます。寒空のもと、白い息に身震いする体を奮い立たせてくれるような燦然と輝く朝日、1日の終わりにその日の検討を讃えてくれる満点の星空、決して高級な訳ではないのに各々の覚悟と未来への希望が詰まった何気ない金曜日の夜更け。雨の日も風の日も、変わらず拳を合わせお互いの未来を確かめ合うかのような抱擁を交わしてくれる仲間。半年が過ぎて当たり前になりかけていましたが、至る所に幸せが散らばっています。特に仲間に関しては、我ながら人に恵まれたなと感じさせられる次第です。

なぜなら彼らは、日本人のことが大っ嫌いだからです。

日本の美徳である“謙虚さ”に甘え、平和を好むと宣いながら“無難”な選択を好み、失敗を省みることなくただただ“恐れて”何も行動しない。そんな日本では100点満点の人々に彼らも嫌気がさしたのでしょう。ここで文化が違うとか、それが日本の文化だからと言おうとしたそこのあなた、ちょっとお待ちください。気持ちはよくわかりますが、僕らは今カナダにいるんです。そしてそこでたった一人でも友達を作る上で、文化の違いなんて曖昧なものを言い訳にすることなんてできません。そんなもの承知の上で我々は言葉を交わすのです。

彼らの嫌気が肌で感じられるほどに膨れ上がってきた頃、ふと尋ねてみました。

「日本人のことどう思う?」

答えは予想通り、大嫌い。そこでふと二つ目の質問が思いつきました。

「僕のことは、どう思う?」

喉元まで出かかって、聞けませんでした。正直なところ怖かったんです。生意気ですが、僕自身が他の日本人とは全く違うことは自負していましたし、それに違わない努力もしていました。でも怖かった、ついどこかで“その他大勢の日本人”と思われているんじゃないかと疑ってしまったのです。

ですが、少しして彼はこう続けました。

「でもRyuki は好きだよ。だってRyukiは他とは違うから」

涙が出てきそうでした。

そんなことで思い詰めていたことが気恥ずかしく思えてくるほど、思い切りよく、躊躇いのない、真っ直ぐな目で僕を見つめるその友人に、改めて“ありがとう”と伝えました。声が震えないように堪えていたことを今でも覚えています。

私だって、時々失敗が怖いです。調子に乗らないように謙虚に物事に取り組みますし、無難な選択をして次に備える時だってあります。でも彼が言ってくれた言葉が嘘にならないように、明日もまた前を向いて生きようと、一人固く決意した午前0時10分前です。

 

ここまでの所要時間約15分、まずまずですかね。今回も決意文になってしまった熱苦しい文章にお付き合いいただきありがとうございます。皆さんも日々の小さな幸せを逃さないように、顔を上げて胸張っていきましょう。では、