こんにちは、1年の南雲です。

 

突然ですが、皆さんは「人生トントン説」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。簡単に説明すると、人生の中で不幸の量と幸福の量は同じ(トントン)になるという考えのことです。これは科学的に証明されたものではありませんし、誰かが論文で発表した、というものでもないいわゆる都市伝説や迷信のようなものです。しかし、私はこの説に勝手に絶大な信頼を寄せていました。

なぜかというと、自分の人生を振り返ってみると、私の人生は実によくこの「人生トントン説」によく当てはまっているなと感じるからです。つい最近も、前日にとあるゲームでえげつない程幸運が続いてボロ勝ちした翌日に駅でありもしない冤罪をかけられて危うく補導されかけそうになるというまさに絵に描いたような人生トントンな出来事がありました。こんなことが起きてしまうと、いよいよ私は「人生トントン説」を信じないわけにはいかなくなってしまうわけです。

と言いたいところだったのですが、ここで私はとあることに気づいてしまいます。「ん?幸せのレベルと不幸のレベルが釣り合ってなくないか?」と。前述した例で言っても、カードゲームの勝敗と、身に覚えのない罪を着せられるという2つの出来事を天秤にかけた場合、どちらの方が人生における重要度が高いかなど火を見るよりも明らかであって、どう考えてもプラマイ0にはなりませんよね。あれ、じゃあトントンじゃないじゃん、人生マイナスじゃん……

なんだか悲しい気持ちになりながら人生トントンについて少し検索をかけてみたところ、とある記事が目に止まりました。読んでみると、ここにはこんなことが書いてありました。

「もともと持っている幸運の量が変えられないなら、大事なのはつまらないことに運を使ってしまわないことだ。」

要するに多幸な人は、運の使い所がとてもうまく、逆に薄幸な人は変なところでつまらない運ばかりを使ってしまっているということです。そして私はハッとします。確かにつまらないことばっかりに変に運を使ってるな…と。先程のようなゲームの運も然りですが、私の場合自分が犯したミスのリカバリーにばかり運を使ってしまっている気がします。今年起きたことだけを例にとっても、財布を落としたら中身が無傷で交番に届いていたり、天気予報が大雨だったのに傘を家に置いてきてしまったら奇跡的に雨に降られなかったり、寝坊して危うく部活に遅刻しそうになった時に偶然バスが止まっていたおかげでいつもと同じ時間に道場につけたり等々。要するに、私が不幸なことの方が多いな、度合いが強いな、と思ってしまう原因は別に自分が気をつけていれば使う必要のなかった運を使ってしまって自らの運の在庫をわざわざ減らしてしまっていた、ということのようです。

「日頃の行いがいいことが果報に結びつく」というのもこの考え方であれば説明がつくかもしれません。取り敢えず、少しでも多幸な人に近づけるよう日々の生活を気をつけなければいけない、という自分自身への戒めと共に今回の日誌の結びにしようかと思います。毎回拙い文章で申し訳ありません。私が柔道部を引退する3年後までには面白いしっかりした文章が書けるように頑張っていきたいと思います。

最後になりますが、皆さんも冤罪事件にはくれぐれもお気をつけくださいね。 終わり