家を出た時どんよりとしていた空が朝の駅員バイトを終えてふと足元にある目線を上げてみると晴れ渡り、奥では桜が咲き誇り、
この駅にも駅員がいて、見えないところにもたくさんの人がいるおかげでこうやって生活できているんだなと、ごく当たり前だけど当たり前でないことに気が付き何故かとても清々しく、良い1日が過ごせそうな気分になりました。
ご無沙汰しております。文学部4年の栗田愛弓です。
無事、というより、ついに、4年生になってしまいました。
この人とは残り何分間乱取りができるんだろう、部員日誌はあと何回書けるのか、そんなことを考えては物思いに耽ることが増えました。
そういえば4年になって待望の文学部の後輩をようやく持つことができました!私の所属する社会学専攻を志望していると言うんですからこれからが楽しみです。
でも彼が専攻に振り分けられるとき、私は卒業しているはずですし、今練習に来ている塾高生たちが学生になる頃、私は現役として柔道部にはいません。
そんなことにふと気がついて、もっといろんなことしたかったよな、とか、1年生の頃からもっともっと考えて、記録に残しておけば良かったな、とか、よく1人でしゅんとしています。
1日を大切に、なんて悠長なこと言ってられませんね。1分1秒を大切に生きていきたいと思います。
さて今日はたったの1日で4月病が終了した私が唯一面白いと思って単位にもならないのに履修を決めた授業についてお話します。
意図的に削った文章が多々あるのでだいぶ読みづらいかとは思いますがご了承ください。
その授業というのが「寄せ場の社会学」なるものです。
そもそも寄せ場とは、日雇い労働の求人業者と求職者が多数集まる場所だったり、彼ら彼女らが居住する地域のことで、意外と身近な所にもあるようです。
講義自体はまだ1度しか受けていないのでこれからどのようなことを学ぶのかはわかりませんが、初回の講義で見たドキュメンタリーは「生」を考えさせられるものでした。
皆さんにとって生きる意味とはなんでしょうか?
生きるとはどういうことでしょうか?
生きることは凌ぐこと。
死ぬ勇気がないから、
宗教上、自殺はいけないことだから、
凌ぐしかないんだ
そう悲しげに話していたのは日雇労働者を数十年続けているおじいさんでした。
一方で
別の人は
この道を選んで、あの時この決断ができてよかった。後悔していない
と言っていて
人生において
無駄こそが至高
という先輩もいました。
また、
日雇労働を繰り返し、体がボロボロになってしまったおじいさんが生活保護をもらって最初にしたことは、若い頃から好きだったアイドルのファンクラブに再入会することでした。
私は無意味な時間を過ごしたくないし、人生において無駄なものはいらないし、自分が成す全てのもの、ことに意味を持たせたいし、意味を見出せることを人生をかけてやりたい
と思っています。
(おまえの生活無駄多いだろとか言わないでくださいわかってます…)
自分の考えが良いとは決して思いません。この考え方のせいで自分のことが嫌になったことなんて数知れないし、誰かに迷惑をかけたこともあるかと思います。
もちろん彼ら彼女らがどのような思いでこれを言ったのかもわからないし、
生きることに対する思いは人それぞれなので押し付ける気など何もないというかそんなことはできませんが、
例えば寄せ場。例えば大学。
一見同じ場所で生活している人でもこんなに考え方が違うのだから人を一括りに見ることは本当に危険だなと思うし、
何が彼ら彼女ら(自分も含めて)にそう考えさせるのか、とても不思議に思います。
他の人がどんなことを考えて生きているのか。
とても興味があるし、だからこそ2人でじっくり話すことが私は好きなんだろうなーと思いました。いつも話してくれる人ありがとう
今回はこんな発散しただけのお話になってしまいました。
――――――
ここまでは前に書いたことなのですが、今日言われたことが自分の中で衝撃だった、かつ少し繋がる話かと思うのでここに残させていただきます。
私は結果よりも過程が人間をつくると思って、だから毎日自分にできることをやって、できることを増やす、
そのために頑張ろう、と考えて行動していたつもりでした。
でも、やってもやっても(実際足りていないとは思います)何の結果にも繋がっていないことに焦りを感じ、自分に嫌気が差し、そんな自分なんかに時間を割いて手助けしてくれたり、教えてくれたりする相手に対して申し訳なく思って、
そういう人間です。
そんなことがちょうど一昨日もあって、今日。
「結果にこだわってるから、自分にはなんでもできると思っているから、人の助けを借りると申し訳なく思うんじゃない?」
頭を殴られたようでした。
どこまでも傲慢な人間だなと
前々から思っていたことですが、
実は自分が意識している・考えていることとは真逆のことをやっているのではないか、(意識しているつもりでも、結局その枠の中でしか物事を見ていない、みたいな)
そして逆に自分がこうなりたくないと思っているような人に、実はなってしまっているのではないか、
そう思います。
自分はできると思っていることが実は全然できていないとか。
人の目に触れる場で申し訳なく思いますがまだ混乱していて上手くまとめることができません
考えてみようと思います。
お付き合いいただいた方、ありがとうございました。
それでは失礼します。