失礼致します。私、本年度慶應義塾體育會柔道部並びに慶應義塾大学経済学部1年の森井浩太(もりいこうた)と申します。出身高校は、名門中の名門慶應義塾高等学校です。趣味は、タピオカ巡りです。おそらく巷の女子高生より、タピオカに詳しいと自負しております。最近、日吉にもタピオカ屋さんができ、キャーキャー言われておりますが、あまりオススメはしません。
さて、前置きはこれくらいにして、ここで私の経歴について話させて頂きます。私、森井浩太は石川県金沢市で産声をあげ、まもなくして徳島県徳島市へ移住、そして小学5年生まで徳島の地で育ちました。私と柔道の出会いは小学1年生の頃です。母がやんちゃだった私に礼法を学ばせ、落ち着いた子にさせたいという思いで近くの道場に連れて行ったそうです。当時の浩太少年は、柔道に全く興味がなく、サッカーが大好きで、何かの文集で、「将来W杯に出場して、フランスに勝ちたいです」とも書くほどでした。しかし、柔道を始めて2ヶ月が経った頃、浩太少年の気持ちをガラッと変える出来事が起こります。なんと柔道を始めて2回目に出場した大会で2位になったのです。浩太少年歓喜です。そこから柔道で勝ちたいと思うようになり、練習がない平日は母に自転車で並走してもらいながらランニングしたり、自宅で母に道着を着てもらい、打ち込みを受けてもらったりしていました。土日は練習が始まる1時間前に父と来て投げ込みや乱取りをしました。今思えば、このようなことを当たり前のようにしてくれた両親は本当に偉大だなと思います。そしてこれらのことを続けていくうちにだんだんと勝てるようになり、柔道の虜になりました。時が経ち、小学5年の夏、父の仕事の都合で東京へ行くことになりました。そこで、門を叩いたのは、またも柔道界の名門中の名門松前柔道塾でした。松前柔道塾では多くの経験をさせてもらいました。今慶應義塾にいるのも松前柔道塾抜きでは語れません。中学校では、柔道部のない公立中学校に進学しましたが、松前で練習に励み、都大会や関東大会にも出場することができました。そして、念願の慶應義塾高等学校に入学することができました。塾高では怪我に悩まされ思うような結果を残せず歯がゆい時間を過ごしましたが、この3年間は非常に充実しており、今後の人生において最も大切な時間であったと思うとともに成長を実感することができました。また、厳しくも愛のあるご指導をしていただいた鏑木先生には本当に感謝しております。さて、浩太少年の12年間の短い柔道人生を総括してみると、結果をあまり残せていないことにお気づきだと思います。個人での全国大会出場はわんぱく相撲のみで柔道ではありません。中学でも、高校でも全国大会に出場するという目標を掲げましたが、成し遂げていません。そこで柔道人生の集大成と位置付けている大学柔道で、必ず個人で全国大会に出場し、活躍して見せたいと思います。無論、団体戦や早慶戦でも勝利に貢献できるように精進致します。
最後に、長くなりましたが、ここまで多くの人の支えがあったからこそ今の自分が成り立っていると思います。柔道の結果ももちろんですが、人間的にも成長し全ての人に恩返しができるよう精一杯頑張って参りますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。