ブンブンブン〜♪蜂が飛ぶ〜♪
この蜂ではありません。
ブンブンブン〜♪バイクが走る〜♪
本日も麻布十番の病院と学校の総移動距離100kmを走りきりました。
寒いですね。皆さん体調はいかがですか?朝晩と大変寒くなって来たのでお体にはお気をつけください。しかし!!僕は寒さにも負けないバイク野郎です。真冬でもブンブン行きますよ。
では、「はち」とは何か?これは僕が部員日誌の更新をサボった回数です。愛読者の皆さん猪狩さん更新サボってごめんなさい。あの頃は更新日を過ぎると「日誌」と2文字の脅迫状のようなLINEを兄ぃ(郡司先輩)から送られて来で急いで書いたなぁなんて懐かしい思い出です。
僕は、安藝先輩の代で宮本先輩が引退カレンダーというものをつけているのを見て一緒に引退カレンダーをつけ始めました。あの頃はまだ700日以上あったカレンダーはいつの間にか残り8日です。そうです題名の「はち」は引退までのカウントダウンだったのです。8日後、僕は16年の柔道人生にピリオドを打ちます。
思い返すと、6歳から始めた柔道をやめようとしたことかが何度あったことか。中学ではサッカー部に行こうと真剣に考えたが、結局柔道部に入部。高校ではダンス部でイケイケなハイスクールライフを送るはずが柔道部に入部。中学高校と部員に恵まれず常に廃部危機。この6年間は寂しさとの戦いで、とても辛い6年でした。でもやっぱり一番辛かったのは大学4年間です。高校時代、楽しい楽しいキャンパスライフを想像しながら受験勉強をしていました。が現実は、周りの学生は授業後に遊ぶ時間などの自由が待っているのに、僕を待つのはいつも柔道でした。朝練は朝早いし、授業はいっぱいあるし、練習はきついし長いし、と本当に辛かったです。1年生の時は選手として試合に出場し、尼崎のメンバーにも選んでいただいたため、辛くても選手に選んでもらっているんだからなんとかしてやろうと乗り越えて来ました。しかし、2年3年4年と歳を重ねるにつれ、活躍の場は少なくなりました。2年の夏に何か変えようとトレーニングと食事を改善し大増量を行いましたが、4年になっても選手に選ばれずと苦悩の日々が続きました。こんな日々が続いても柔道を続けられたのは、隣でチームの誰かが常に頑張っていたからです。先輩に支えられたり、同期に励まされたり、後輩に奮い立たせられたりと僕が今までに味わったことのない感覚でした。さらにOBの方々にも良くしていただき本当に感謝しています。就職活動においても、OBの方々がサポートしてくださったので、来年から働きたいと思っていた会社で働くことができます。僕も来年以降OBの方々がサポートしてくださったよう、後輩たちをサポートできるようになりたいと思います。
慶應義塾大学に入って慶應義塾体育会柔道部に入って過ごした時間、共に過ごした仲間は一生の宝です。そして、8日後の最後の慶早戦は勝ちたいです。僕はこれに出場し勝利を掴み取るためにこの2年半増量をして来たと言っても過言ではありません。でも出られるほどの強さはなかったため、出られません。だから、何としても勝って欲しいです。と他力本願な発言をしていますが、僕は自分ができる最高のサポートを全力で行いたいと思います。
僕の大学生活4年間は、柔道において悔いは残るけど色々な活動もできたし、胸を張ってやりきったと言える4年間だったと言えます。今後、嬉しいことなどがあった時、自分がこの瞬間を味わえているのは柔道部や親や家族、たくさんの人々の支えがあったからだと言うことを決して忘れることはないでしょう。
ただ、8日後からは柔道がなくなると考えるとなぜか不安な気持ちになります。柔道の練習があったから1日の時間を上手に使えたし、柔道が週に6日あったから月曜のオフ日を有意義に過ごそうと思えたし、試合後のオフや長期休暇にありがたみを感じることができたのだと思います。まるで自分の心の支えを1つ無くしてしまったように胸が締め付けられます。僕は12月に手術を控えており、術後8ヶ月は柔道をできません。そのため柔道がなくなることを余計に辛く感じるのでしょう。
長々と書いてしまいましたが、書きたいことはまだまだたくさんあります。どうやら僕は名作「夏風邪」の著者であり文豪らしい。今となってみたらもう少し部員日誌も書きたかったなぁ、なんて思います。いや、まあ、、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
蓋をしておいたはずの早慶戦に出て勝利という思いが、早慶戦が近づくにつれ引退が近づくにつれ溢れ出て来ます。
8日後
嬉し泣きで終わりたい
3年間の屈辱を果たしたい
選手のみんな頑張れ!
そしてたくさんの応援よろしくお願いします。
本当にありがとうございました。