こんにちは、4年の高です。
長かった月1の連載もおかげさまでついに最終回を迎えました。
今まで僕のよくわからない部員日誌にお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました!誰もこんな文章読んでないだろうとやや諦めつつ、やっぱり誰かに伝わってほしいとどこかしら期待してしまう自分もいました。そんな可愛い一面もあります。
僕にとってこの部員日誌という場所はとても重要な表現の場であり、心の発散場でした。身近な愚痴であったり世の中に対する問題提起であったり、時には柔道部に対する文句であったり、行き場のないアイデアの供養であったり。
文章を書くことを通して、自分の伝えたいことを整理して、人に感じ取ってほしい形にして渡すことができます。いわばインプットとアウトプットの成長機会であり、ただただ人に話すだけでは表現として物足りないのです。
部員日誌も人によっては月一で書かないといけない、面倒な悪しき風習かもしれません。しかしどうせやるなら何かしらの意味を持たせちゃいましょう。自己表現でも、文章力向上でも、問題提起でも、柔道部のイメージアップを図るでもなんだっていいんです。そしたらきっと書くことも読むことも100倍楽しくなります!
「拙い文章で申し訳ございません」なんて謙遜する必要のない日誌を!
さて、12年間の柔道人生もあと6日で一つの幕引きを迎えます。
最後に何を話しましょうか、こんな時期になっても話したいことは未だに尽きる気配がございません。超大作を書こうかとも考えましたが、きっと後に控える吏輝が書きにくくなってしまうのでみんなを泣かせるのは彼に任せまして、
幕の合間の語りはこれまで、幕の最中は黙で。
僕は今からとても情けない話をします。
長いようで短かった塾柔道部での人生、とても一言じゃ語り切れませんがそれでも一言で表すなら「逃げ」の7年間でした。
塾高柔道部に入学した当時、僕は過去最高のレベルでやる気に満ち溢れ、絶対に全国大会で活躍しようと強く意気込んでいました。しかし現実はそう甘くはありません。大会では全く結果を残せないどころか練習についていくことすら精一杯。毎日先生には怒られ、先輩にはボコボコに投げられ、いつからか日々の練習は「こなす」ことに成り下がってしまいました。
それでも、大会で活躍する古澤先輩や秦の姿を見てまだまだチャンスはある、と弱気になるたびに自分を奮い立たせていました。鏑木先生には73キロ級で戦いたいとお願いし、少しでも強くなろうと食らいつきました。
しかし、無駄にプライドが高い僕には限界が来てしまった。どれだけ体重を増やそうと頑張っても胃に物は入らず、どれだけ走っても後輩に追いつくことができず、どれだけ必死に練習を頑張っても試合では勝てず。ここで自分自身を諦めてしまったんです。体が大きくならないことを体質のせいにして、試合で勝てないことを組み合わせのせいにして、自分の弱さから逃げることを選んでしまいました。
僕が逃げる間に同期の細谷や平山は愚直に努力を続け、次々に結果を出していきます。その悔しさからも逃げ、気づけば高校を卒業。こんな僕を最後まで諦めずに指導してくださった鏑木先生には何も恩返しすることができませんでした。
あれよあれよと大学に入学し、そのタイミングで再び奮起しようと考えましたが結局立ち上がることができず、それもコロナのせいにしました。その後は3年間、命を懸けて本気で柔道に向き合わない理由をどこかに探しながら柔道を続け、現在に至ります。もちろん適当にやっていたつもりは全くありませんが、試合で負けたときにすべてを柔道に捧げてきたか、と言われればそれはNOでした。悔しがることすら許されないと思います。
じゃあどうやって柔道部に貢献するか、そこで考えたのは「できない側の立ち回り」でした。全員が全員大学生活を柔道だけにすべてを尽くせるわけではありませんし、何か他のことと両立しながら必死に食らいついている部員だってたくさんいます。もちろん体育会に所属する以上柔道ファーストが正しいことではありますが、せめて柔道以外にも別のベクトルで頑張っている人の見方でいよう、理解のある人間でいようと。そんな決心もあってアルバイトや研究会活動には柔道と同じ熱量で真剣で取り組んで参りましたし、そのおかげでたくさん成長することができたと自負しております。しかしそれでもどこか柔道に全力になることから逃げているだけな気もして、文武両道なんてとても恥ずかしくて言えません。主務に選ばれなかったとき、それはそうだよなと自分でも納得してしまいました。トレーニングから逃げて力が弱いことを自虐して、馬鹿馬鹿しい。
でもやっぱり心の奥底では柔道が大好きで、柔道部から逃げることだけはどうしてもできませんでした。柔道が好きで、負けたらやっぱり悔しくて、やるからには絶対勝ちたいことだけは何があっても変わりません。そんなわけで最後くらいは少しあがいてみようと思います。
同期へ。
こんなに情けない自分でごめんなさい。そして見捨てないでくれてありがとう。みんなが死ぬ気で頑張ってきたことは誰よりも知っています。本当に尊敬しています。来たる早慶戦、正々堂々愚直に戦い抜くことを誓います。
さて、こうかいはここまでにして。この場を借りてお世話になった方々へ感謝を伝えさせてください。
【県武館のみんな】
お世話になっております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
小学4年生の時の1年間、初心者で右も左もわからない都会からやってきた私に柔道の楽しさと素晴らしさを教えてくださったのが脇野先生をはじめとする県武館の皆さまでした。先生方や保護者の皆様全員が本当に暖かく、道場に行きたくて仕方がない日々で、心から柔道が大好きになりました。引っ越すときに作ってくださったうちわは今でも部屋に飾っております。
改めまして「柔道」を教えてくださり、本当にありがとうございました。いつか鹿児島でお会いできれば幸いです。
【古賀塾のみんな】
お世話になっております。
県武館の先生に教えていただき、弱っちいながらも覚悟を決めて入塾した小5が懐かしいです。当時はとにかく強くなりたい一心で弱いくせに強化グループに入りたいと散々駄々をこねましたが、今考えれば本当に生意気だったと思います。
それでも粘り強く叱ってくださった江口先生、左組に矯正してくださった金子先生、一緒に掃除をさぼって野球に誘ってくださった颯人先生、そして僕なんかの試合にもコーチとしてついて応援してくださった古賀先生。本当に心から感謝しております。大した恩返しもできず情けない限りですが、塾5訓を胸にこれからも柔道人として生きていくことを誓います。改めまして、ありがとうございました。
【希望が丘 関川先生・峯宇コーチ・部員のみんな】
お世話になっております。
僕の人生で最も幸運だったのは先生方に出会えたことです。幸運と表現としていいのかはわかりませんが、本気でそう思っています。全く関係ない学校の私を、嫌な顔一つせず受け入れ部員として指導してくださった先生方、部員のみんな、心より感謝しております。他校で古賀塾がメインできっと難しい存在だったのにも関わらず、毎週末当たり前のように遠征に連れて行ってくださり、居場所ができたようで本当に嬉しかった。最後の県大会、負けて何より悔しかったのは先生方に恩返しできなかったことでした。勝負の世界において本当は負けたことを悔しく思わないといけないはずですが、それでもそう思いました。柔道を通じて人として成長すること、それを教えてくださり本当にありがとうございました。また挨拶に伺わせてください。
【塾高柔道部 鏑木先生】
お世話になっております。
まず初めに、ずるくて弱くてどうしようもない僕を諦めずに叱り続けてくださり、本当にありがとうございました。そしてすみませんでした。僕だったらきっと2年目くらいで見捨てていたと思います。
先生はきっとそうじゃないと思いますが、僕は先生のことが大好きです。本当は先生に相談したいこと、報告したいこと、謝りたいこと、たくさんありました。でも先生が大変な時に何もできなかった僕にはそんな資格はありませんでした。大学4年になってもやっぱり僕は弱くて自分に負けることも多々ありますが、それでも先生から教わったことは何一つとして忘れていないつもりです。人生を通して先生から教わったことを理解し、自分のものにできるよう3倍努力したいと思います。改めまして、心より感謝申し上げます。
【家族 父・母・伯母・祖母】
みんな、いつもお世話になっています。
書いたら止まらんくせに普段はあんまり言葉にできていないからこの場を借ります、いつも本当にありがとう。別に恥ずかしいとかじゃないんだけど、なんか言えないのよね。家族からの支えは当たり前じゃないってわかっているつもりだったけど、やっぱり心のどこかで当たり前だと思ってしまっていたところがありました。大学に入って、周りで寮暮らしや一人暮らししている仲間を見て、就職活動して、将来のことを考えたりして、どれだけ家族の優しさに助けられているか、ちゃんとわかった気がします。
これまでやりたいことを見つけたら突っ走って全部に手を出して、勝手に忙しくしていっぱい振り回してきました。みんな優しいからきっと迷惑なんかじゃないって言ってくれるけど、それでも手がかかったと思うし、好きなように頑張れるように支えてくれたこと、本当に感謝しています。一生かけて恩返しさせてください。ありがとう。
【塾柔道部の仲間たち】
一番長い付き合いで6年間、家族よりも一緒にいたみんなと離れるという事実が正直とても辛いです。12月からはもう毎日道場に通うことはありません。
塾高に入学したときは6人だった同期が時を経て今では3人で、なぜ自分がまだ残っているんだろうと悩むこともたくさんありました。まさか自分が孤独に対してここまで臆病になるとは思いもしなかったんです。
尊敬できる後輩たち、そして尊敬しかできない同期たちに囲まれてとても幸せな日々でした。最後みんなと早慶戦という舞台で闘えることを心から誇りに思います。
みんなありがとう、大好きです。これからも長くお世話になります。
終わりだと思ったそこのあなた、最後だろうとこのまま綺麗には終わらせねえぞ!!
というわけで最後に少しだけ、自分らしく偉そうに語ります。
上下関係ってなんだろうとずっと考えていました。
先輩に対する敬語は必要か、上座下座は必要か、飲みの場でのマナーは本当に必要か。
英語に丁寧な言い回しはあれど敬語はありません。なぜ日本にはそんな文化が昔からあるのか、不思議で仕方がありませんでした。
僕なりのアンサーは「相手と対等な関係を築くための手段」です。日本では相手に対する敬意を重んじるブシドーが主流であり、これは非常に美しい文化です。しかし敬意を表すことと、遠慮して自分の意見を隠すことは真逆であり、美徳でも何でもありません。礼節や敬語を通じて相手への敬意を示すことで「歴」のギャップを埋め、お互いが認め合い、対等な立場で関係を築くことができるのだと思います。
大人と話すなら敬語を使う、社長と話すなら死ぬほど勉強してから伺う、強い選手に稽古をつけてもらうなら今持っているすべての力を出し切る。すべてが対等な関係になるための最低限の礼儀です。
みんなの頑張りを認めてくれる人を大切にしましょう。
みんなの好きを尊重してくれる人を大切にしましょう。
僕たちに足りなかったのはきっと話す時間だったのだなと今になって思います。会話はキャッチボールだなんてよく言ったものです。同じ目線に立って自分の気持ちを素直に伝え、相手の気持ちを否定せずに受け取る「会話」が簡単そうに見えて実はすごく難しいことでした。自分の作った基準からはみ出した存在に対して「的外れ」というレッテルを貼ることで端から相手にしない、そんな関係が対等であるわけありません。
例え立場の上下があれど、どんな相手とも目線だけは揃える。柔道部を良くしたい、柔道部が好きな気持ちに上下なんて絶対にないはずです。
「人を信頼するに足る根拠とは、誘導や操作などでなければ、支配でもない。洗脳でも、信心でも、正義でも、金銭でも、催眠でも、恐怖でも、制約でも、欺瞞でも、服従でも、和平でもなく、対等だ。」
/矢場(今際の国のアリス)
此にて大詰。
みんなのおかげで実に愉快な柔道人生でした。
あー楽しかった、、、
みんな仲良くね!!
おわり
回顧録 ~これまでのタイトル~
・雨垂れ石を穿つ(小さな力でも、根気強く続けていればいつか大きな成果が得られる)
・猫をかぶる(本性を包み隠して、大人しそうに見せかけること)
・沈魚落雁閉月羞花(絶世の美人)
・顰に倣う(良し悪しも考えずに、人のまねをして物笑いになる)
・確乎不抜(意志や精神がしっかりとして動じないさま)
・妖精の尻尾(未知の冒険・無限の可能性)
・無為廻生(呪術廻戦的な)
・無知の知後の智(ソクラテスリスペクト)
・ECOIST(ブルーロック大好き)
・リープリング(?)
・一束単(?)
・笑みを象る(作り笑い)
・群像劇にはいらない / anewhite
・東京 / SUPERBEABER
・冬籠り花ぐわし / ヨルシカ「風を食む」より
・走馬灯 / Vaundy
・ピンクムーン / ハルカミライ
・赤を塗って / SUPERBEABER
・夏陰 / ヨルシカ「夏陰、ピアノを弾く」より
・ファイト!! / ハルカミライ
・GET BACK / THE ORAL CIGARETTES
・スペシャル / SUPERBEABER
・YOUNG TOWN / PEOPLE1
・Two of Us / go!go!vanillas
・未来の話をしよう / SUPERBEABER
・雨天決行 / sumika
・Veranda / Tele
・フルカラープログラム / UNISON SQUARE GARDEN
・ピーターパン / 優里
・BGMになるなよ / ハンブレッターズ
・反論 / 映秀。
・愛を伝えたいだとか / あいみょん
・LIFE IS BEAUTIFUL/ go!go!vanillas
どれもメッセージ性の強い名曲なので是非!