4年の望月です。柔道部の長期OFFも終盤を迎えました。さて、今日は86日ですね。毎年、この時期になると、戦争に関する特集を見かけるようになります。目を覆いたくなるような悲惨な内容が多いですが、それでもなぜか、テレビのチャンネルを変えることができません。見ないといけないという、気持ちがあるのだと思います。

「戦争」というのは、小さいころから漠然と、身近に感じてきました。

私の誕生日は2001103日で、世界同時多発テロの直後でした。生誕地は米国サンディエゴだったので、ワールドトレードセンターからは遠かったものの、近所では半旗が掲げられ、数日に一度の頻度で防災警報が出ていたと聞いています。アジア人ということで周囲から警戒されないよう、近所の方が、「I love New York」のステッカーを車に貼るようにと下さったらしいです。

(そんな緊迫感の中、私の名前は、平和の光となるようにと、「あかり」になりました。なんて大層な話とは思いますが、この名前はとても好きです。)

 

小学校4年の時には、インドのインターナショナルスクールで、仲良しのアジア圏の友達に、「日本は私のおじいちゃんを殺したから、好きになれない」と言われました。

当時は歴史も何も知らなかったので驚きました。家に帰るとパソコンで調べ、どうやら日本が第二次大戦というものを始めたらしいと知り、大きな衝撃を受けました。日本は進んでいて、安全安心で人も親切なので日本人であることを誇らしく思っていたからです。「母国は悪者なのだろうか?」と不安になり、Japaneseであることを以前のように堂々とは言えなくなってしまいました。

 

小学校6年のとき、本帰国すると、復学した小学校の教室に、「はだしのゲン」が置いてありました。

恐ろしい内容で、読んだ後は夜怖くて眠れなくなるので、もう二度と読んでやるものかと思うのですが、それでも、いくらか経つと、また本に手が伸びました。「日本もこんなに大きなダメージを受けたのに、どうしてわるく言われるんだろう?」と思いましたが、歴史というものは、きっと根が深く、簡単に解決できるものではないのだろうと思いました。

 

大学2年の時、コロナが少しずつ明け、部活の合間を縫って一人旅行を企画しました。行き先は、一度この目で見たいと思っていた、広島に決めていました。現地では観光した後、原爆ドームに行きました。資料館にはただならない重々しさが漂っており、隣にいる女性が鼻を啜ったか思ったら、自分も泣いていました。

重い鉛のようなものを背負ってその場を後にし、お好み焼き屋に入ると、中年の夫婦2人が経営していて、客は私一人。とても盛り上がりました。そのとき、ご夫婦が、「広島はただの『広島』じゃない。世界の『HIROSHIMA』だ。」と仰ったのです。

長い間もやもやとしていたものが、スーっと和らぎ浄化されていくようでした。

例えば世界に歴史と平和を伝えるHIROSHIMAのように、いいことも苦いことも含めて、「私は◯◯だ」という、アイデンティティと誇りを持つことが、生きる力になると思うのです。そのためにも、過去をよく知ることは非常に重要だと胸に刻みました。

 

デリケートな話題ではありますが、今日は8月6日だなと思っていたら、つらつらと日記を書いてしまった今日でした。長ったらしくてすみません。そろそろ失礼します。