こんにちは。文学部4年の岡崎です。

日誌を読む限り、皆自粛によってストレスを感じてはいるものの、新たな趣を見つけて各人なりに有意義な時間を過ごせているみたいですね。
私たちは體育會柔道部。といえど柔道が全てではありません。
いずれ復活するのが前提ではあるものの、「もし自分が柔道をやっていなかったら」というifを各々体感し、思いを馳せているのではないでしょうか。

 

もし、柔道をやっていなかったら。

私の場合だと、柔道のお陰で恩師である鏑木先生と出会い、慶應義塾と関わりを持つことができたので、恐らくこの立場には、この場所にはいないんじゃないかなと思います。

中学生の頃は、両親が公立高校の教師であったこともあり突飛な進路は描いておらず、県内の公立の進学校、または道場の師範が監督を務めている県内の柔道強豪校のどちらかに進学する予定でした。

けれど、そのもっと前。年齢にしてみれば、10歳もいかないくらいでしょうか。

私は将来の夢に「ゲームクリエイター」を掲げていた。そんな記憶があります。

理由は漫画を読んで面白そうと思って柔道を始めた男に見合うものです。ゲームが好きだったからです。
小学1年生時のクリスマスプレゼントにゲームボーイアドバンスを貰い、そこから私のインドアもといナード人生は始まってしまいました。

元来大飯食らいで太っており、運動が苦手ということもあって指先と思考の感覚だけで楽しめるゲームは私を虜にするのにさして時間はかかりませんでした。

両親は良い顔はしませんでしたが、成績を落とすようなこともないのでさほど厳しく物は言いませんでした。

幼い私にとって、ゲームは希望であり、常に傍にいてくれる、心の支えでした。
要は、「救い」だったのです。

人と話すのが苦手で元々内向的な性格でした。自分だけにのめり込める勉強は当時は得意でした。そこでしか自尊心を保てない、歪な人格でした。
ともすればその歪みを助長する原因であったのかもしれませんが、それでもゲームというものは私にとっての救いでした。金八先生の理論で言うならば、私はゲームに支えられてようやく人としての体を保てていたのです。

 

ところで、ゲームの中にあるものは何でしょうか。

目標を達成する快感でしょうか。現実では体験できない非日常でしょうか。自分が主人公を演じることによる自己陶酔でしょうか。

私にとってゲームにおける最も重要なエッセンスは、物語がそこにある、ということでした。

当時は字を読むのが好きでなかったので、ゲームや漫画から物語の成分を摂取していたので、私にとって唯一の上質な物語はそれらでした。

 

如何に無機質といえど、そこには人がいて、人生があって、それに伴う感情と、記憶と、行動があるのです。それに私は、私たちは心を動かされ、時として人生観が変わる瞬間になり、新たな自分を再構成する一部になります。

ゲームが伴う快感とともに、私は本来人とコミュニケーションをとることで摂取するべき人生の情緒というものを、ゲームから得ていたのです。

 

時は経ち、中学生になると活字にも耐えうる精神的体力がつき、ゲームという媒体以外からも、様々な形態の物語を、私にとっての救いを摂取し始めました。その中には音楽鑑賞も含まれます。相変わらず人付き合いは得意ではありませんでした。傲慢で、強欲で、自分の思い通りにいかないとすぐに憤慨してしまうような、救いようのない人格でした。(今もそうだ、とかは言わないであげてください。傷つくので)

そのまま塾高に進学し、沢山の刺激と後悔、懺悔、反省、自己暗示を経て何とか「人間らしい人間」になろうと、そう思い始めることができました。が、その過程で折れてしまいそうなときでも、物語は相変わらず私の中で救いとなってくれていました。

 

そして、大学生。
得難い仲間、学友、尊敬する先輩や刺激を受ける後輩に囲まれ、「理想の自分」に少しでも近づくことができるよう、自分なりに研鑽と思考を重ねる日々ですが、その中で常日頃から脳裏を過るのは「自分以外のすべてによって、自分は生かされている」ということ。

ようやくまともな人付き合いがそこそこできるようになり、人から励まされて活力にする経験も、誰かの支えとなって感謝される経験も積むことができました。

そこで気づいたのは、人であろうが、物語だろうが、有機質であろうが無機質であろうが、自分は自分の周りを取り巻く全てによって救われ、支えられているいうことです。

より不出来で人にすがることが能わなかった幼少時代、人と関わり支えあうことを覚えた今と、立場、能力、考え方は違えど常に私は「救われ続けてきた」のです。

 

「人は一人では生きていくことができない」

 

ごくごく当たり前の事実です。ですが、私にとってそれを実感することができたのはつい最近の話。
「幸せになりたい」という願望から「幸せにしてもらっていた」という真実に行き着くのに、だいぶ時間がかかってしまいました。

今からほんの少し前、就職活動を行っていた際にも、私の中での一番大きな柱は「誰かの救いになることができるか」でした。

勿論、真っ当な仕事であれば人の為にならない仕事なんてものは存在しないので、そんなのどこの企業にも言えることではあるのですが。
その中でも、意識レベル「人の幸せを願い、それを実行できる」企業に就職活動を行いました。

 

就職活動、もとい将来社会人として生きていく以外でも、誰かの救いとなることはできるはず。
そう考えた私は、最初に救いとなってくれた物語、さらに細かく言えば「文化的な表現」というフィールドにおいて、享受する側から担う側になろうと画策しました。

コロナによる自粛で家での時間が増えた今、元々趣味で書いていた小説の執筆に加え、ラップによる楽曲制作にも着手し始めました。
勿論クオリティなんてお世辞にも高いとは言えませんし、自己満足の域を出ません。
それでも、シンプルにやることが楽しい。それに、いつか人が聴くに堪えうる代物になった時、誰かの支えに、救いになることができれば、それ以上の幸せはないだろうと、そう思います。

 

たかが1人の人生、できることなんて限られています。
それでも、これまで救われた分、支えられた分、幸せにしてもらった分。恩返しができるような。
今後の人生の全てを賭して、より多くの人を幸せにし、「救い」となれるような。そしてそれによって救われた見知らぬ誰かが「自分も誰かの救いになりたい」と思えるような。
そんな人生を歩んでいきたいです。

といったことを、実は常日頃考えて生活しています。

まぁ、こんな長ったらしく書いていても実際当たり前のことでしかないんですけどね。

何はともあれ健康第一なので危ないことはせず、波風は立てず、なるべく平和に生きていきましょう。
最後に、ここまで読んでくださったあなたは、多分暇を持て余しているだろうから、僭越ながら一つアドバイスしたいと思います。
これまで享受していた側だった趣味を、創造する側にしてみるのも手ですよ。このご時世才能とかタイミングとかで足踏みするのはナンセンスなので。やりたいことやって、楽しく生きましょう。

一刻も早くコロナが収束し、また柔道ができる日を待ち望みながら、キーボードを打つ手を休めたいと思います。