こんにちは。主務の野上恭平です。一年生から続けてきた日誌も今日が最後です。書きたいことはたくさんあるのに書けず自分の文才の無さに失望します。日誌の短さに対して、一年間たくさん言い訳をしてきたので今回ばかりはちゃんと頑張ります。

私が最初に柔道と出会ったのは中学生のときでした。当時120センチしかなかった野上少年はいじめられたくない一心で柔道部の門を叩きました。この判断が良くも悪くも高校以降の野上少年の人生を大きく狂わせました。実際に入部するとゴリラみたいに大きな先輩の隣を歩けたのでいじめられずに済みました。中学校のうちは乱取りをしない日が週の半分でだいたい基礎トレーニングという名の鬼ごっこや相撲をするだけでした。この中学校時代が一番柔道を楽しんでいました。このとき運だけで少し結果を残し、センスがあると思ってしまったのが致命的な間違いでした。こんなに練習していないのに坊主の奴らより強いのだから、練習したらもっと強くなると思っていました。

塾高に入学しこの間違いを体感しました。中学校の時に馬鹿にしていた坊主に自分がなり、誰よりも必死に稽古をすることになったからです。それなのに結果は出ない、いつしか卒業がゴールになっていました。その中で毎日同じ稽古をしていた同期の松永が勝ち上がる姿が希望でした。同期に憧れるのもおかしな話ですが、自身の成長を実感できずそれだけ追い込まれていました。だからこそ、蓮太郎に憧れて寝技をするようになりましたし、実際それで中学校のリベンジも果たせました。おそらく高校の僕にとって、二人目の師範は蓮太郎でしょう。苦しい三年間でしたが、この三年間で培った技術もメンタルも今の自分にとってかけがえのないものになっています。当時の自分では理解できませんすが、怒ってくれる鏑木先生を大事にしてほしいです。大学生になると中々怒られませんし、裏でただ評価が落ちるだけです。怒られるのは嫌ですが叱ってくれる人は自分のことを考えてくれている人です。今後もそういった人を大切にして行きたいです。

 大学生になると、そこには自由な世界が広がっていました。好きなときに水が飲める感動は今でも忘れません。だからこそ、自分で自分を追い込まねばならず大変でした。今でも自分のことを追い込めているのか分かりません。上級生がいる間はまだ良かったですが最高学年になってからは4年間で一番むずかしい部分でした。そういった意味では「柔キチ」の山元惇暉が毎日乱取りをお願いしてくれたのは助かりました。どんなに疲れている時でも視界の隅から現れる惇暉のお陰で乱取りの本数は確実に増えました。惇暉に限った話ではないです。ポケモンのゲームのように目があったら乱取りをお願いしてくれる宗廣くんや、毎回「今日は勝つ」と言ってくる林君にも大変追い込まれました。この三人だけでなく後輩のおかげで頑張れた一年でした。後輩たちにはそのままたくさん稽古を積んで、来年は一部復帰をして欲しいです。負の遺産を残して引退することが今一番悔しいです。申し訳ないです。

ただ自分なりに4年間、柔道も勉強も遊びも全部頑張りました。誰かに褒めてもらいたいくらいです。まだ、引退していませんが今の時点では後悔はないです。その裏で多くの人の支えがあることをしれた4年間でした。日々だらしない自分を支えてくれている両親を始め、主務になってからは塾柔道部のつながりの強さ、同期、後輩のマネージャーたちに支えられました。特に同期マネージャーには頭が上がりません。日々の業務から今日の早慶戦に至るまで大きな事故が起きることなく柔道部がまわっていたのは人目につかないところで業務をしてくれていた、ふうちゃん、あやちゃんのおかげです。「自立自走」こんな言葉がぴったりな二人です。本当にありがとう!他にも同期には支えられてきました、ただ彼らへの感謝を証拠に残すと後々面倒な気がするのでやめておきます。

思ったことを書きすぎてまとまりが無くなってしまいました。ただ満足行く量をかけたので失礼させていただきたいと思います。

7年間お世話になりました。今の一年生がいるうちは毎年稽古に来ます。また、会いましょう。