こんにちは。文学部の岡崎です。
早慶戦があろうとなかろうと、日誌の残り更新回数が2回となりました。
高校生の時から日誌が好きで、大学では奇しくも広報として日誌に携わる役職につき、ここまでやってきました。
ここまで長いような、短いような。
正直な話、日誌に対する情熱は日に日に冷めていっているのが正直なところです。
一応、功績というか、私自身は広報として日誌の更新に対するルールの施行、という目標は達成できました。
ですが、ぶっちゃけ、「だから何だ」、という思いが常に付きまといます。
広報として、また慶應杯係として、様々な業務に携わり、失敗も勿論ありましたが、なんとか例年通り程度にはこなせてきたのかな、とも思います。
ですが、それでも形容しがたい「満たされなさ」が常に私の後ろを付きまとうわけです。
それは、いったい何なのか。
こんなことを言ったら元も子もないかもしれませんが、所詮私がやっていたことは「誰でもできるけど誰もやりたがらない、代わりはいくらでもいる」ものだったのではないか、と。
勿論部の運営の上ではなくてはならないポジションです。が、マネージメントでもなく、特別試合に左右するものでもなく、リクルート面での実績も乏しく。
未熟なことを言ってしまうようで大変恐縮ですが、所詮「やっても大して認められもしないし特別アイデンティティも見いだせない」、という、見返りの無さ、というのはないとは言い切れないのではないか、と。
私に関しては試合に出る実力もなく、他の業務へのとがった適性の無い「人材の墓場(実際は決してそんなことはないのですが)」のような扱いを受けているような、自意識過剰で被害妄想激しい思い込みなのかもしれませんが、少なからずそう感じる部分はあります。
しかし、よくよく考えてみると、そんな、形式上何のとりえもない私のことを見てくれ、私の部への思いをつなぎとめてくれる先輩方の存在は、確かにあったのです。
H30年卒の井上主将は、今でも一緒にお酒を飲みながら目線を合わせて話をして頂けます。。
H31年卒の九津見先輩や、長田先輩は、係が一緒だったこともありますが、私の業務を間近で見ていただき、「頑張っている」と、これ以上ないありがたい言葉を頂きました。
R2年卒は塾高からの付き合いの先輩方が多く、私の話や意見を軽んじることなく受け止めていただきました。
「自分はここにいる意味があるのだろうか」
という疑問や悩みに対し、ここに挙げた先輩だけではなく、OBを含めた沢山の方々が私に対するねぎらいや信頼という「報酬」を与えていただきました。
高校、大学を経てあまりにも自己肯定感やプライド、といったものが須らくへし折れてしまった自分にとって、これ以上にありがたいものはありません。
となると、私が今すべきことは、私がそうされたように、後輩たちを「見てあげる」ことなのかもしれない、と思うようになりました。
見返りがなくとも、組織の為に、自分を犠牲にして頑張っている後輩の働きを認めてやらなければいけない。
表舞台にも上がれず、縁の下の力持ちにもなれない。そんな人間にとっても居場所はあるべきです。私がそうだったように。
たかが部活でこんなことを考えている私がおかしいのかもしれません。けれど、なんで柔道をするのか、ではなく、なんで「慶應義塾體育會柔道部にいるのか」、を悩む後輩がもしいるのであれば、残り少ない期間で彼らを認める一助になりたいなと、それが私にできる引継ぎ、残せるものなのかなと、思う次第です。
次回がラストになりますが、次回はもっと明るい内容にできたらいいなと思いつつ。とりあえず日々の稽古に励みたいと思います。
ps.一年で新しくマネージャーとして入部した望月さん、部員日誌を読んで柔道部に興味を持ってくれたそうで。広報冥利に尽きます。これでもう悔いはありません。栗田愛弓に後を託します。