凍える夜空が増えました。今年も趣深い冬がやってくるみたいです。ご無沙汰しております。松永蓮太郎です。
次回が最後の部員日誌ということで色々と感じることもあるのですが、最終回におセンチになることは嫌いなので今回、身の丈にあった想いを綴ることにします。
現在、終わりを目前にして感じることは、四年間、ひいては七年間の慶應柔道人生の尊さと儚さです。想像もできなかった「終わり」を目前にしてなお案外落ち着いていて、自分は柔道人生をやり切ったのだと確信しています。
僕はここから三年、引き続き塾生として夢を追いかけますが、この大学生活を顧みた時、四年という月日は本当に瞬きほどの時間しかありませんでした。
そんなこともあり、これからの三年、日々指を折って大切に生きようと誓います。
じゃあ、そのあと。
三年後、何を思い出すのか。
大学生活を振り返って思い出すのはかけがえのない仲間との日々。
忘れられない思い出もあれば、きっと忘れてしまった思い出もあり、それはまさしく、散っては咲く花のような、そんなかけがえのないモノでした。
これからの三年は夢のために何を経験して、どんな人間と出会うのか想像もつきませんが、きっとこれから起こる多くの出来事は大学生活で経験した数々の未体験に比べれば感動も薄いのかもしれません。そしてその度、「今」に戻りたいと思ってしまうかもしれません。
決して楽しいだけじゃなかった、いろんな悔しさ、葛藤、執着に苦悶した大学生活を思い出して、それでもきっと未来の自分には今の自分は輝いて見えるのかもしれない。
『言葉の通りで戻れなくなって美化されて見えるんだろうね。
だってほんとうに、いまより昔の方が輝いて見えるもん。
それに負けないように、今が一番楽しいって思える人生おくれたらいいな。』
そんなフォーエバーハッピーのために、
喜んでこれからの「今」を捧げようと思います。
『叫ぶために息を吸うように。
高く飛ぶために助走があるように。』
これからの三年は夢を叶えて笑うべく、『人が宣う地獄』を全力で味わいたいです。
「百日紅」
ご存知でしょうか。
百日紅の花は単体では一日で枯れてしまうのですが、およそ百日もの間、花を枯らしては咲かせ、枯らしては咲かせ、その結果、長期間にわたって花が綺麗に咲いているそうです。だから百日紅。
僕は慶應での日々を百日紅にしたい。
たとえ大学卒業を境に、日ごとに思い出という花が色褪せようと、その度に鮮やかな花を蘇らせるそんな人生を送りたい。
それこそが僕が慶應で見つけた一番の夢です。三年後、目標を達成した先で、今日こうして息巻いて宣言した夢すらも思い出にしてみたい。
そして、その過程で出会った人たちとの「縁」を新しい花を咲かすための糧としたい。
「縁」ってなんでしょうか。
きっとそれは自身の内面が現実化した写鏡のようなもので、人生の必要な時に、図らずとも縁は廻り廻って目の前に降り注ぐ一種の運命のようなものだと思います。
だから内面が美しい人には相応の運命が巡ってくるし、「徳を積む」なんて概念もこんなロジックなんじゃないかと思います。
「徳を積む」と言えば、僕は慶應柔道人生を通じて「人の価値」に対する認識が変化しました。
例えば柔道という競技において、ありがたいことに僕は大学一年時から多くのチームメイトから信頼を寄せられていました。
今では毎日のように後輩が僕を慕って、技術を学ぼうとしてくれます。
じゃあ弱い僕に価値はなかったのか?
ひいては「人より優れていないとその人の価値はないのか」?「自分より劣る人間に価値はないのか」?
断じて否。
中学時代までの僕は、相手を地に伏せることのみが全てで、それまでの過程と自分以外の他人も全ては尊ぶに足らないモノだと考えていました。
今の僕を見て、幼い頃からの僕を知る人たちはそろって「昔はギラギラしてた」だとか、「牙抜かれたか」とか冗談混じりに言いますが、そんなチンケなモノが僕の価値だとしたら、強さなんていらない。
少なくともこの七年間、慶應で見てきた人たちは強いだとか弱いだとか、そんな物差しで測ることを憚られるくらい美しい人たちばかりでした。
まずその変化のきっかけを与えてくれたのは同期の恭平。
ほとんど初心者の状態で高校柔道部に入部したこいつは、真摯に僕から寝技の技術を学ぶ姿勢を持ち、その数ヶ月後の大会において、圧倒的アウェイな状況で全中チャンプを寝技で制しました。
それでなお、多少の自信は持つけど、事あるごとに「蓮太郎からおしえてもらったおかげ」だなんて言ってくれるもんだから嬉しいっちゃありゃしない。
それからずっと、僕の得意な寝技を磨き続けて、大学の練習試合では一緒に講道館杯プレイヤーの鼻っ柱をへし折ったこともあったっけ。団体では誰よりも僕を信頼してくれて、逆に日常で困った時は頼りになる。
僕が三年時に全学出場を決めた際、隣で戦えないことが悔しくて堪らないと嘆いていました。でもそれを抜きにして、お前を応援する、と、そんな赤裸々な心境を吐露できる人間関係、これから先きっともうないのかもしれません。
これは弱さを蔑んでいたら一生味わうことのできなかった縁で、だからこそ柔道で強いことだけが価値じゃない。あくまでも内面を美しくする「手段」として強さを求めて、果てには「徳」だとか「善」だとかそんなものを追うべきなのだと、そう思えるようになりました。
他にもジョン太。
正真正銘の一般人から柔道を始めて、今では塾柔道部きっての悪童と名高い彼もムードメーカーとして必要不可欠でした。初心者スタートのジョン太ですら、その気丈さがどれだけの救いになっているか、彼が試合でも勝てるようになった過程も踏まえて計り知れません。
ジョン太以外の凱一だったり智宏だったりハセだったり留学生たちも、初心者組の成長が今の僕に大きく影響しているのは間違いありません。
あとは今の塾高生も可愛くて、頑張り屋で、物凄く頼りになる存在です。
書ききれませんが他にも多くの仲間がいて、その誰もが僕を形作る上で欠かせない縁でした。
それはたとえ柔道部を辞めても、恨みつらみを吐いて去っていったとしても、弱くても、頼りなくても、何も残さなかったとしても、その人を形作るポジティブな要素だとか思い出よりも、『小さな記憶の欠片がどこかを漂っているだけで』最大限に尊ぶべき縁です。
(多分それは名前を出すことがタブーなあいつとかあいつとかあいつとかも同じように。)
「分け隔てなく他人に優しく」
そんな徳の高さを育むものこそが「縁」であり、それを通して強さを知りました。
だからこそ結局僕はこれからも負けられません。
この縁の理論や「人間讃歌」が真に他人の心に響く時、それは僕が正真正銘の「最強」になった時です。
柔道で得た経験と思想、その全てを完全解にするために、これからの人生、特にこれからの三年間は絶対に負けるわけにはいかない。
柔道人生にて芽生えた、「自分」という人間性、生き方、自分こそが正しいという我儘。
『自分以外が気にくわねぇんなら、曲げらんねぇんなら、テメェのゲンコツで』押し通ってやります。
『否定から始まってくDream』を『オセロみたくめく』ってやって、『僕の見せたい景色を見せ』るために精進を続けます。
いつか来るその日まで、グラジオラスの花言葉である「勝利」を胸に、ニチニチソウのように咲く土壌を選ばず、菊の花のように高貴に生きることを心がけたいと思います。
そしていつか、きっと大きな「蓮」の花、咲き誇らせましょう。
だからこれからもこんな生意気な僕をよろしくお願いいたします。