こんにちは、商学部4年の高です。

あついですね、とにかくあついです。すでに5月が6月レベルに暑いのでこのままいくと12月は1月レベルに寒いことになります、いつの間に追い越してしまったのでしょうか。空白の1か月があったのかもしれません。「」

先日空白の3か月の時を超えてsumikaがステージに戻ってきました、ほんとうによかった。ライブ映像では、できてしまった大きな空白を無理やり防ごうとせずにしっかり受け入れて、強く前に進んでいこうと音楽を鳴らす彼らの姿にとても勇気をもらいました。新曲の「Starting Over」とにかく最高です、どうか皆さんの住処になりますように。

それはそうと柔道部の猛獣たちの住処「六徳舎」の人数がいつの間にか増え、最近実家勢はとても肩身が狭いです。入寮した学生はみんな口をそろえて住めば都だといいます。昨年までは絶対に嫌だと意地を張っていた僕ですが、いろいろ吹き込まれた結果徐々になしではないのかなと考えるようになってしまいました。寮生の皆さん、もう一押しかもしれません。

 

 

設問① 人生において何をしているときが一番楽しいか、1000字以内で説明せよ。

「何をしているときが楽しいか」と問われたら皆様は何と答えますでしょうか。
柔道をしているとき、趣味に没頭しているとき、寝ているときなどなど人によっていろいろな「とき」があると思います。この「とき」の範囲が広く、「とき」の時間が多ければ多いほど幸せなのではないかというのが僕の考えです。

僕は「みんなで何かをしているとき」が一番楽しいです。いやー曖昧が過ぎる、しかし事実です。朝練のインターバル走だって一人だと辛いだけですがみんなでやる分には不思議と楽しいですし、掃除当番だって一人ではさぼりたくなってしまいますがみんなでやるなら楽しくなってしまいます。この楽しさがもし相対的なものだとしても、幸せならそれでOKなのです。

例えば「合唱」。中学校時代に合唱コンクールで優勝を目指して毎日朝から練習をしたのは今でもいい思い出です。コロナへの対策が緩和された今、フェスで大合唱するのが夢です。しかし一人で歌うのはあんまり楽しくない。一人カラオケに行きたいなと思うことや風呂で無意識に口ずさむことはありますがワクワクはしません。

例えば「飲み会」。本当に飲み会は楽しいの一言に尽きます。でもそれは「会」だから楽しいのであって一人飲みはあんまり楽しくありません。お酒が好きなのではなくて飲み会が好きなのです。一人では吞まれません。

例えば「早慶戦」。これまで先輩方が紡いできた伝統と誇りを胸に、各校総力をもって闘うのがやはり早慶戦の醍醐味であると考えます。あんなに「みんな」が体現されることはなかなかありません、この環境に感謝するばかりです。3分間で決着がつく1vs1で戦う某スマホゲームとはわけが違います。

 

何が言いたいかというと組織への感謝は忘れちゃいけないなと思うわけです。自分を受け入れてくれて必要としてくれてサポートや応援もしてくれる、さらにそんな恵まれた環境において常に「楽しむ」ことができている。こんな幸せなことはありません。どう還元していくか、どう恩返ししていくのか、残り半年間しっかり考えて実行していきたいと思います。

少し前までは学生生活を本当に楽しむことができているのか、という疑問が頭の片隅に住み着いていつもちょっかいを出してきました。果たしていつまで将来に投資しているのかと。そんな悩みもそろそろ尽きそうで、それはそれで少し寂しい気もしますが、最後まで憧れや羨みも隠さずに全部持って勝負したいと思います。

 

設問② 将来あなたが叶えたい夢は何か、800字以内で説明せよ。

みなさんにはどんな夢がございますでしょうか。夢を持つ人間が成功すると言われるこの世の中で、生きていると「夢はあるか」「目標はあるか」と多方面より常に問われます。やはり明確な夢や目標を持つ人のエネルギーや行動力にはいつも感心させられるばかりで、尊敬の念を抱きます。

しかし、果たしてすべての人間が「夢」を持つ必要があるのか。そんなことを考えていました。僕はどちらかというとその時々で目標を設定するタイプなので、長期的な目線での「夢」はあまり考えたことが無く現在も特にありません。強いていうなら自分の周りの人たちと幸せに暮らすこと、夢というほどの規模感ではないかもしれません。

こんな僕にも昔は夢がありました、世界平和です。
幼いながらにも争いのない世の中を望んで、神社に行ったらしっかり世界平和を願っていました。しかしアンパンマンを見ていて気が付きました、世界に平和は訪れません。アンパンマンサイドにとっての勝ちはバイキンマンサイドの負けで、誰かにとっての平和はきっと誰かにとってのピンチです。現代社会でもSDG‘sやグリーンニューディールが推し進められる一方でグローバルサウスといった問題は尽きません。それでも世界平和を謳うには僕はあまりに未熟で、ついには孔子から老子へのシフトチェンジを行いました。

 

何が言いたいかというと、世の中全員が夢を持つ必要はきっとないと思うんです。人それぞれのペースで、規模感で。自分が成功だと思えばそれは成功ですし、別に成功しなくたっていい。国民の義務にだって表記されていませんし、自家用ジェットもクルーズも必要ありません。

「何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんて、そんなのは嫌だ。」

うるさい!!!!

 

 

設問③ 言いたいことがあればどうぞ。(字数制限なし)

ああ、いやだ。人間の価値が、わずか1時間や2時間の試験で、どしどし決定せられるというのは、恐ろしいことだ。それは、神を犯すことだ。

(正義と微笑/太宰治 より)

 

不合格でしょうか。

 

 

というわけで最後は回顧録です。今回は太宰治にどっぷりはまってひたすら読み漁っていた2年秋の回です。

~回顧録「ECOIST」~
朝のベランダの外があのころに比べて暗いことに老いを感じますが、あの淡さは大人っぽくも感じます。

「利己主義」と「利他主義」の話をさせていただいたのは、当時「偽善」について考えていたからです。果たして終電間際の優しさは空っぽなのか、試合中怪我をしてしまった相手に謝るのは侮辱にならないか、1から10まで手伝うことが本人のためになるのか。もちろん偽善のつもりがなくても、相手の受け取り方次第で偽善となってしまうこともあると思うのです。

そんなときに読んだのが太宰治の「誰も知らぬ」と「皮膚と心」でした。

「誰も知らぬ」からは己の行動原理など誰も知り得ないということ、「皮膚と心」からは人の優しさや好意に対しては、疑うことなく素直に感謝して受け取ることが1番であるということを勝手ながら受け取りました。

普段生活をしていると、本当にたくさんの方々の優しさに触れます。もちろん常に優しさを疑うようなことはありませんが、やはり誰しも時には意識的に真意を探ってしまうことがあるのではないでしょうか。逆も然りで、真意は違っても受け取り方次第では優しさに変わるときだってあるでしょう。例えば嫌味を言われているのに褒められていると勘違いしたり。

ハイコンテクストな日本文化だからこそついつい心理戦を繰り広げてしまうこともわかりますが、素直や謙虚が最強だなとしみじみ感じる秋の朝なのでした。

 

ちなみに最後はこちらも当時はまっていたサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のオマージュをさせていただきました。ふざけているようですがリスペクトをこめています。本当です。

おわり