最近、どうせ〜だからと考えるのをやめています。やってみてもいないのに、どっしりと腰を降ろして、「どうせできないから」「どうせやっても無駄だから」ともっともらしい理由をつけている自分が、どうにも虚しく感じたからです。僕にそう感じさせてしまうキッカケをくれたあの人に、こっそり弟子入りしようと思います。勉強も部活も器用にこなすその人の、凄いと思わせる部分は、地頭の良さではなく、たぶん馬鹿なところなんだと思います。普通なら躊躇してしまうようなところを、その人は迷わず進む。それが良い方向であれ、悪い方向であれただひたすらに。その「馬鹿さ」を僕は美しいと感じてしまったのです。
僕の好きなスポーツ漫画でも言っていました。当初は軽く読み飛ばしていたけれど、今になってその言葉がよく響きます。
「自分より優れた何かを持っている人間は、生まれた時点で自分とは違い、それを覆すことなどどんな努力・工夫・仲間を持ってしても不可能だと嘆くのは、全ての正しい努力を尽くしてからで遅くない。ただ、“自分の力はこんなものではない”と信じて、ひたすら真っ直ぐに道を進んでいくことは、“自分は天才とは違うから”と嘆き諦める事より、辛く苦しい道であるかもしれないけれど・・・。才能開花のチャンスを掴むのは今日かもしれない。もしくは明日か明後日か来年か、30歳になってからかもしれない。でも、無いと思っていたら多分一生ないんだ。」「才能は開花させるもの、センスは磨くもの。」
今朝、空に飛行機雲を見ました。ああして飛行機が空を飛んでいるのも、かつてそういう馬鹿がいたお陰なんだと思います。皆が口を揃えて、人が空を飛ぶ事など不可能だと言う中で、それでも空を見上げて眼をキラキラさせていた馬鹿がいたからあの飛行機は飛んでいる。
世界を変えてきたのは、たくさんの馬鹿者たちなのかもしれませんね。
僕ももう少し馬鹿になろう。その勇気を僕は持ちたいと思いました。