あけましておめでとうございます。柔道部三年の三觜です。
さて、私は慶應杯実行委員を務めているのですが、慶應杯が近づいているため、慶應杯関連の仕事が多く、とても忙しいです。それに加え、定期試験も近づいており、てんてこ舞いの過密スケジュールです。このような中でも更新表通りに更新する私はエライでしょう。エッヘン。
よく、人見知りといわれる私ですが、自分だって社交性の高いやれやれなスクールヒエラルキー最上位層になりたいんです。しかし、それは無理な相談です。人前だと緊張します。このまえ、教職課程で模擬授業を行ったのですが、変な汗はかくはチョークは震えるは生徒のほうを見れないはとありとあらゆる緊張時の症状を発動させました。努力によってこれは何とかなるのでしょうか。
自分はなぜ、このような性格になったのだろうか考えたことがあります。遺伝はもうどうしようもないので考えませんでしたが、おそらく自分の育っていた環境なのでしょうか。そんな気がします。
そういえば、こんなことがありました。小学校のとき、「ごんぎつね」という話を学びました。あらすじとしては 兵十が母親のためにとったウナギをごんという狐が奪う。→兵十の母親が死ぬ。→ごんは深く後悔し、贖罪のために食材を兵十の家に届ける。→ごんが食材をくれていると知らない兵十はごんが自分の家に入るのをみていたずらすると思い銃殺。→ごんが食材を届けてくれていることに気付く。 というなんとも言えない悲しい物語です。そして授業で「ごんにウナギを取られた兵十はどんな気持ちでしたか?」という問題がでました。クラスのみんなは先生に「ごんのことを許せない気持ち」、「ごんのことを殺してしまいたくなる気持ち」のようなごんに対する怒りの気持ちばかりを発言していました。ひねたクソガキであった私は「なんでみんなごんに対する怒りの気持ちしか考えられないんだろう。ごんに対して怒っても母親にウナギを食べさせることはできないんだから、それよりもウナギをどうやってまたとるか考えたほうが合理的だろ。こんなんに気付かなくて感情的な意見ばっか言ってみんなあほだなあ。」と考えたのです。そのため、先生に「兵十はウナギをどうやってまたとるか考えている。」と発言したのですが、この意見がみんなから否定されました。ショック。それに先生からも否定されました。心がぽっきり折れる音がしました。
今から考えても、この意見は間違っていないと思います。ただ、そんなことは重要ではなく、この話で私が言いたかったのはこの体験が私を引っ込み思案にした要因になっているのではないかということです。あのとき、クラスのみんなや先生が頭ごなしに否定するのではなく、自分の意見も尊重してくれたら、もっと社交性のある人間になれたのかもしれません。
こんな暗い話になっていしまいましたが皆さんお元気で。